|
||||||||||||
●画題「八犬傳之内芳流閣」一勇斉国芳(歌川国芳)版元・泉市 和泉屋市兵衛 天保11年(1840)大判3枚揃い 東京国立博物館蔵 |
||||||||||||
●『南総里見八犬伝』屈指の名場面放流閣の決闘である。 |
||||||||||||
|
●「東都宮戸川之図」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)版元・山口屋藤兵衛 天保年間初期 東京国立博物館蔵 拡大表示 ● 宮戸川は、現在の隅田川河口付近である。江戸時代には浅草大川河口と言われ、海水と淡水の混じるところである。絵は「うなぎ掻き漁」の様子を示し、背景には、筑波山と屋根舟の舳先を描く。ここで捕れたウナギは、浅草で食された。漁師が持つ棒の先端にはウナギが見える。 |
●「東都首尾之松図」絵・一勇斉国芳(歌川国芳) 版元・山口屋藤兵衛 天保年間初期 ボストン美術館蔵 拡大表示 首尾の松は、浅草蔵前の隅田川にあり吉原に通う舟の目印になっていた。下は広重の「首尾の松」である。 |
●「東都三つ股の図」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)版元・山口屋藤兵衛 天保年間初期 ボストン美術館蔵 拡大表示 ●現在の日本橋あたりから、佃田島方向を見たところ、右の橋は永代橋、左の小さく見えるのは万年橋である。一時話題になったスカイツリーらしき高い塔は、井戸掘りの櫓らしい、勿論こんな高い塔はあり得ない、国芳の創作か。船の底を焼いて焦げを作り、船底の腐食を防ぐ。 |
「東都橋場之図」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)版元・山口屋藤兵衛 天保年間初期 ボストン美術館蔵 |
●『東都○○之図』と『東都名所シリーズ』について
天保14年(1843)に言い渡された「天保の改革」により、大雑把に言えば『禁忌・好色本、歌舞伎役者の似顔絵、遊女・女芸者、狂言、女子供を大人に例える戯画、賢女烈婦伝類など遊興奢侈を煽るものを禁ずる』、それらを錦絵に描くことが禁止された。困ったのは版元や絵師達である。それまでの稼ぎ頭であった全てが禁止である。考えたすえに彼らは風景画に活路を求めた、国芳も摺り数が8回と制限されたため、色や摺りに工夫を凝らした。背景の板ぼかしによる単純かなども一つの工夫である。また、彫師の負担も考え西洋風の画面構成も試した。それが「首尾の松」図である。この大胆な構成画面が当時の江戸庶民に受けたのだろうか、現代から見れば芸術(アート)かも知れないが、評判になるのはやや無理だったのではあるまいか、おそらく売れ行きも良くなかったのではあるまいか。版元も国芳も活路を求めて必死だったのでないだろうか。 特に『東都橋場之図』は、題材の選びも分からないし、平凡な画面構成で国芳らしくない。(私見) |