木挽町狩野家九代目・狩野晴川院養信の仕事のひとつ模写・模本
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木挽町狩野家九代目 狩野晴川院養信(1796〜1846)は、江戸後期の絵師であり、探幽以後の狩野家を支えた人物である。その活動は狩野晴川院養信『公用日記』 に見ることが出来る。絵師がどのように活動したか伺える貴重な資料である。また、探幽同様に古典の絵画を研究したり、養信縮図を制作した。左の絵はそのひとつで土佐長隆の模本を模写したものである。和紙にさらさらと描いているが確かな腕である。(東京国立博物館蔵)
(注)土佐長隆とは鎌倉時代の絵師であろうが詳細は不明である。
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蒙古襲来 文永の役 (1274年)と弘安の役(1281年)の2度の戦いを絵巻にしたもの。特に弘安の役は、元・高麗軍の主力で兵4万から5万7千人、軍船900艘と江南軍10万、水夫と軍船3500艘の史上最大の軍の襲来である。その時の様子をえがいたもの。

「蒙古襲来絵詞」は鎌倉時代の肥後国御家人竹崎季長が作成したも言われ、元寇との戦いの文永・弘安の役の様子が絵と詞書に克明に記録されています。模本も40数種がある。東京国立博物館と国会図書館のどちらにも模本があるが、国会図書館の巻物の方が絵が多い。
「蒙古襲来絵詞」模本   東京国立博物館蔵

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『平治物語絵詞』模本 模写 狩野晴川院養信 東京国立博物館蔵
 この模本は晴川養朴の模写であるが、国立国会図書館には『平治物語絵詞 三条殿焼討巻 』があり、江戸時代の住吉派絵師・住吉広川の模写である。住吉家は幕府の誤用しも勤め、古画の鑑定も行っている。両方の元本を比べてみると絵が違う、では晴川養朴がどの平治物語絵詞を見たか定かではない。

「平治物語絵詞」模本  東京国立博物館蔵

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「平家物語絵詞(模本)狩野晴川院養信
 東京国立博物館蔵

写真『蒙古襲来絵詞』模本 狩野晴川院養信

「蒙古襲来絵詞」は鎌倉時代の肥後国御家人竹崎季長が作成したも言われ、元寇との戦いの文永・弘安の役の様子が絵と詞書に克明に記録されています。模本も40数種がある。


木挽町狩野家九代目 狩野晴川院養信(1796〜1846)は、江戸後期の絵師であり、探幽以後の狩野家を支えた人物である。その活動は狩野晴川院養信『公用日記』 に見ることが出来る。絵師がどのように活動したか伺える貴重な資料である。また、探幽同様に古典の絵画を研究したり、養信縮図を制作した。左の絵はそのひとつで土佐長隆の模本を模写したものである。和紙にさらさらと描いているが確かな腕である。(東京国立博物館蔵)
(注)土佐長隆とは鎌倉時代の絵師であろうが詳細は不明である。
鳥イラスト
動物図譜の画を描く……知られていない図譜の仕事    江戸図譜目次
 
『探幽をはじめ、宗秀、安信、典信(栄川院 )惟信(養川院)のほか、正敦の没後も活躍する養信(晴川院)まで、自ら描いたもの(安信の「がらん鳥」のみか)と、木挽町狩野家の蔵図が収録されている。』(『江戸鳥類大図鑑ーよみがえる江戸鳥学の精華『観文禽譜』ー』鈴木道男編 株式会社平凡社 2006年刊 定価35.000円)、これは江戸時代に作られた鳥類図譜の最高峰と言われる堀田正敦の『観文図譜』に狩野派が参画していたことを示す記述である。

狩野晴川院養信は大変な勉強家である。寺社にある美術品を願い出て模写した、それには木挽町狩野家の総力を挙げてと言ってよく門下生を派遣した。その仕事は東京国立博物館にデーターベースとして収蔵されている。
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