狩野晴川院養信が記録した奥絵師の仕事『公用日記』

狩野晴川院養信(かのうせいせいいん おさのぶ)の公用日記とは……
  狩野晴川院養信は、15才から51才までの36年間にわたり、幕府奥絵師の仕事を日記に記述して残した。これらの日記は、「公用日記」と呼ばれ、主に東京国立博物館に53冊、国立国会図書館に3冊の合計56冊が保存されている。56冊の内訳は、奥絵師の仕事を記載した日記が51冊、別記・雑器を記載した3冊、私的な日記が2冊である。

公用日記の内容
 毎年の御用……正月の書初献上、2月の奉納絵馬、夏には将軍が奥女中に贈る金箔押しの団扇、暮れには、奥女中の籤(くじ)の景品造りなど。
 臨時の御用……御殿の障屏画の制作、内裏に献上する屏風、将軍子女の婚礼用屏風、掛け軸など、将軍などの前で行う席画、将軍への絵手本の制作、その他、将軍の色々な絵に関する雑務。行事のスケッチなど多岐にわたった。(東京国立博物館蔵)

江戸城障屏画の制作…狩野晴川院養信

  晴川院が43才の時、西の丸が炎上焼失、49才の本丸が炎上するなどがあり、晴川院は2度の普請障屏画制作の監督を務め、彼は西の丸の表玄関、中奥の御座の間、休息の間、大奥の対面所など障屏画を制作した。これらの障屏画は現在失われてないが、晴川院の下絵が残されている。(東京国立博物館蔵)

左は晴川院養信が残した公用日記 である。東京国立博物館蔵 公用日記−1

 江戸城西の丸御殿障屏画絵様 大奥対面所二の間(下絵)国立国会図書館蔵



江戸城西の丸 表
大広間の障壁画 伺下絵であろうか
トップ目次に戻る         狩野目次に戻る