時代を超えたデザイン性が光る、葛飾北斉の団扇絵 重文『群鶏』 |
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●「軍鶏図」絵・北斉為一筆(葛飾北斎)版元・辻安 辻屋安米兵衛(江戸南伝馬町2丁目)、天保6年(1835)(重要文化財指定)。 北斉の代表的団扇絵である、見事な構成力で、いま見ても時代を感じさせない絵である。この団扇へを見ると浮世絵師(名のある者に限るが)の確かな写実力を感じる。浮世絵師というと何か輪郭線のみを描く絵描きというイメージであるが、少なくとも肉筆浮世絵を残している浮世絵師は、北斉のように写実力にも優れていたと思う。
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寸法・21.5×28.3センチ、東京国立博物館蔵
●北斉は、団扇絵(おそらく売られた団扇絵)にも群鶏のような力の入った作品を残し、下記の2点のような作品をも残した。
『軍鶏 のとさかや尾羽が入り組んで複雑なモザイクを織りなすさまは、伊藤若冲の『動植綵絵』(どうしょくさいえ)の中の同様な画題による1図を連想させる。強烈で幻惑的な装飾性という点で、両者は近しい関係にある。ただし、軍鶏の目つきの獰猛さは、北斉ならではのもの。』辻 惟雄・記
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『75才で上梓したこの絵本(注)の巻末で、北斉は今までの画業を振り返り、「七十年前画く所は実に取るに足ものなし」と大胆にも素直に述懐している。また、この時初めて「卍」を画号に使用。以前から川柳で用いていたこの号は、生涯30余りにも上がるという画号中、最後を飾るものとなった。』(アートビギナーズコレクション「もっと知りたい葛飾北斎 生涯と作品」永田生慈監修 東京美術 2007年刊)注・絵本「富嶽百景」(初編)天保5年(1834)。落款の頭に「総房旅客」とある。
●「鷹」絵・画狂老人卍(葛飾北斎)、天保5年(1834)から6年(1835〕頃、版元等詳細不明。東京国立博物館蔵
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●「雉と蛇」絵・北斉為一(葛飾北斎)、天保4年(1833)頃、版元・辻安 辻屋安米兵衛(江戸南伝馬町2丁目)、東京国立博物館蔵
雉(きじ)は、日本の固有種で有り、国鳥に指定されています。飛ぶよりは地面を歩くことが多い。色々な物を食べる雑食であるが、昔より知られるのは蛇をも食べることである。垂直に飛び上がりながら、鋭い爪で蛇を捕らえる。
また、鳴き声も独特で『雉も鳴かずば打たれまいに…』と言う言葉が知られる、歌舞伎の台詞にも使われ、昔はよく使われた。元は石川県の民話であるそうだ。
歌舞伎では、白井権八と幡随院長平の「鈴ヶ森」の台詞で使われる。
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●「勝景奇覧 上州 榛名山」絵・前北斉卍(葛飾北斎)詳細不明 東京国立博物館蔵 右の白い重ね塔は何だろうか。
●「勝景奇覧 甲州 湯村」絵・前北斉卍(葛飾北斎) 詳細不明 東京国立博物館蔵 場所は、現在の鷲の湯か谷の湯あたりらしい。(地元のホームページより)
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●「勝景奇覧 上州 妙義山」絵・前北斉卍(葛飾北斎)詳細不明
国立国会図書館デジタル化資料 寸法・22.2×29.0センチ
●「勝景奇覧 甲州 見延川」絵・前北斉卍(葛飾北斎)、詳細不明 東京国立博物館蔵、おそらく年代は「相州袖ヶ浦」と同じだろう。寸法不明。
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●勝景奇覧シリーズは、8枚と言われている。御覧の5枚以外に、「信州諏訪湖」と、後2点だが分からない。また、このシリーズは、「前北斉卍」の画号で北斉晩年の団扇絵である。風景は北斉独特のディフォルメがあり中国的である、現実の風景とはやや違う。
●鈴木重三氏によれば、「北斉が後年、団扇絵の注文を受け、『千絵の海』で残った版下のアイディアを利用した」のではないかと述べられている。
●浅野秀剛氏は『北斉決定版』(別冊太陽、平凡社 2010年刊) で、「相州袖ヶ浦」「上州妙義山」のような多色摺のものと、「上州妙義山」のように藍色が主体となった作品に大別できる。しかし、ボストン美術館には、「勝景奇覧 上州 妙義山」の多色摺団扇絵がある。
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ー団扇絵絵師目次ー
●葛飾北斎団扇絵ページ ●歌川豊国団扇絵ページ
●歌川国芳団扇絵ページ
●歌川広重団扇絵ページ
●歌川広重団扇絵ページ
●歌川房種団扇絵ページ ●東京国立博物館・http://www.tnm.jp/
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