幕府医者 栗本丹州の自筆掛け軸 『鳥獣魚写生図』5軸

軸−1 ウミネコ

栗本丹州(1756〜1834)は、江戸時代中期から後期にかけての医師(幕府の医者)であり、江戸の博物家田村藍水の次男から本草家栗本昌友の養子となる。名は昌蔵(まさよし)、通称は瑞賢と称す。寛政元年(1789)に奥医師(幕府の御殿医)となり、文政4年(1821)に法眼から法印(瑞仙院)になる。幕府の 医学館で教える。医学館(明和2年)とは、幕府が神田佐久間町に開いた漢方医学校である。寛政3年(1791)に幕府直轄の医官養成校となる。著作は日本で最初の昆虫図説『千虫譜』(彩色写生図集)や魚類図巻の『魚介譜』(栗氏魚譜)が有名である。また幕府若年寄堀田正敦や蘭学者大槻玄沢などとも親交があった。

『鳥獣魚写生図』について……国立国会図書館デジタル化資料
軸−1,「海鴎」ウミネコ(2才か成鳥)、下の絵、セグロカモメかオセグロカモメらしい、画中にはオキノバカザウと記載されているが、これは水府(水戸)地方の方言である。
軸−2,「豪猪、山アラシ」ジャワヤマアラシ
軸−3,「雷獣、オオカミ」又は野犬か、画中には「元文2年(1737)7月17日、武州岩槻領掛村」とある。
軸ー4、「ウチワ漁」ウチワフグ
軸−5,「沖マンザイ」マンボウ
(画は全て国立国会図書館デジタル化資料 )

掛け軸 オオカミ
軸ー3 オオカミか、野犬か
オオカミは秘本では絶滅したと思われる。為にオオカミはタイリクオオカミをさす。日本で確実な記録は、奈良県東吉村鷲家口(わしかぐち)で、標本はロンドン自然史博物館にあり、シーボルトが持つ標本はオランダ国立自然史博物館にある。しかしオオカミは日本では、大神様として神社の狛犬になっている。大田区「御嶽神社」 「子安八幡神社」

軸ー2 ヤマアラシ


軸ー4 マンボウ

掛け軸 ウチワフグ
軸ー5 ウチワフグ
ウチワフグのアップ
沖マンザイ(斑車魚 マンボウ)部分
 画中に斑車魚とあるが、漢名は翻車(まんぼう)地方によってはウキキ(浮木)、体長は1〜3メートルになる。皮膚が弱く寄生虫も多いため飼育が難しい。古くより珍しい魚のため注目された。栗本丹州にも「翻車考」というマンボウを集めた本もある。水深100メートルの深海に生息。腹部は大きく垂れ下がっているが、空気で膨らむことはない。全長40センチほど、骨質の小さな板状鱗でおおわれている。カワハギとフグの中間的特長を持つ。


画のマンボウは、寛政9年(1797)7月9日に佐渡の姫津海岸に漂着したマンボウで、約3メートルと記載されている。参考・国立国会図書館「描かれた動物・植物 江戸時代の博物誌」

ウチワフグ(学名 Triodon macropterus)
フグ目に属する深海性の海水魚である。ウチワフグ属(Triodon) を形成する現生では唯一の種で、1属1種でウチワフグ科を構成する。イラストの様うに腹部の模様が特長である。日本でも時たま捕獲される。大きさは50センチ、腹部にうちわのような膜状の構造があることが大きな特徴で、和名の由来ともなっている。この膜は開閉可能で、外敵への威嚇に役立っていると考えられている。世界的にも稀な種だが、分布域自体は広く、太平洋とインド洋の熱帯・亜熱帯域の各地で記録されている。日本でも南日本で稀にみられる。棲息は水深200メートル付近の大陸棚で、『美ら海水族館で本種を飼育した際は、水槽に導入してしばらくは他の魚が近づくたびに膜状部を広げる行動がみられた』。無毒で、食用にされることもある。下のイラストはキュヴィエによる図版である。(パブリックドメイン)ウィキペデア

ウチワフグのアップ
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