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●清和源氏の祖・源 安和二年(969)に発生した「安和の変」は、『冷泉天皇の宮廷に起きた政変である 。この結果,源高明が失脚して,藤原氏の独占的地位が確立した。当時,左大臣源高明は,その女子が村上天皇に愛された皇子為平親王の妃となっていたので,その将来をおそれた藤原氏が,高明らが為平親王を擁立して,皇太子守平親王 (円融天皇) の廃立をたくらんでいると密告して、高明とその一門を中央政界から追放した。』(ブリタニカ国際大百科事典)、 ●この密告した人物が源満仲であった。源高明(後醍醐天皇系の源氏貴族)はこの政変により太宰府に流され、藤原氏の摂関政治となり、源満仲は藤原北家に与し、摂津国多田に所領を持ち、そこを基盤に武門源氏を造りあげた。源満仲は正五位に昇進し、越前守、常陸国、摂津国と受領を歴任している。 天元五年 (982)には常陸介になっている。常陸の国は、俘囚の国陸奥に対する重要な国のため、新王任国であった。守は新王が任ぜられるほど格が高かった。満仲は任官の間に東国武士に影響を与え、この時に得られた見聞が「家の伝」として伝わり、平忠常の反乱を討伐するため派遣された常陸介・源頼信が、浅瀬を渡り平忠常を降伏させた情報となった。(参照・『源氏と坂東武士』野口 実著 吉川弘文館 2007年)(画・源満仲『前賢故実』江戸時代、画:菊池容斎) |
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●武蔵国は関東地域の中心に位置する大国として、南は相模国、西南に甲斐国、北に上野国、東に下総国とそれぞれ国境を接しており、西の山地ではわずかに信濃国に接している。この事から平安末期の東国で武蔵国がいかに重要な地域であるかが分かる。東国にやって来た桓武天皇系軍事貴族〔平氏)は、常陸の国多気大掾氏一族が相模国も支配していた。 | |
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