阿部希望著作 伝統野菜をつくった人々「種子屋」の近代史
明治から昭和初期頃、全国に野菜の種を販売普及させた「種子屋」の近代史


日本を訪れる外国観光客も2015年末には、全国で2000万人を越えるのではないかと言われる、嬉しい予想であるが、観光立国フランスやアメリカには遠く及ばない。観光の楽しみに食事は大きなウエイトを占める。我が国の野菜は実にバリエーションに富んでいる、胡瓜ひとつを見ても色々な味がある。京都や他の観光地に集中する観光客を地方に誘致するためには、地方の野菜活用がヒントになるかも知れない。

『各地に古くから伝わる伝統的な野菜が次々と姿を消していった。それらは本書のキーワードでもある「固定種」と呼ばれる種子で栽培された野菜であり、(後略)固定種野菜は、毎年、栽培して種子を採取し、またその種子を播くことで代々受け継がれてきた。固定種の消失は、固定種種子の消失を意味し、しかも、固定種種子は一度消滅すると、その野菜を二度と復元することはできない。』(同書から)
 

『固定種が一般的につくられていた明治から昭和戦前期を対象に、現在の種苗会社の前身である「種子屋」の発展過程をめぐりながら、固定種の種子がどのように生産・流通してきたかを検証していくものである。』(同書から)
『伝統野菜をつくった人々「種子屋」の近代史』著者 阿部希望 定価3780円 農山漁村文化協会(農文協)判型・頁数 四六 256ページ 口絵写真8ページ ISBN・9784540141959


目次の章立てを簡略に紹介
 1章 かつて「種子屋」と呼ばれる人々がいた 
 2章 買われる野菜、売られる種子 野菜と種子の変転、江戸から近代へ
 3章 種子の大量生産、大量流通を担う 江戸東京の種子問屋、榎本留吉商店
 4章 採取管理を請け負う「種子屋」作業管理の代行者、野口平蔵(橘屋種苗店)
 5章 村を歩き、市で売る在郷の「種子屋」掛け売り信用販売で地域密着、小売行商・種仁商店
 6章 今に生きる「種子屋」の功績
 農文協ホームページ
 
明治の後期、現大田区西馬込の篤農家河原梅次郎氏が「馬込半白節成胡瓜」をつくり、全国に普及させた。また、昭和25年頃、河原清吉氏らが「馬込大太三寸人参」を造ったが、昭和37年頃宅地化により生産されなくなった。
馬込半白節成胡瓜ー詳細   馬込大太三寸人参−詳細
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