●ポルトガルの没落は、人的資源があまりにも脆弱だったことによる。 わずか100万人(150万という資料もある)程の人口では、海外の拠点を維持することは難しく、英雄的な開拓者の時代から利益だけを追求する堕落した階層を生むことになった。そして1580年に国王が死去。スペイン王フェリペ二世をむかえて事実上の配下になった。スペインの無敵艦隊がイギリスに敗北すると共に、ポルトガルも一緒に没落した。 ●エンリケ航海王に始まる英雄達が築き上げたポルトガルの支配は、1580年頃まで絶対だったが、わずか80年間ほどで栄光の場所から滑り落ちた。 次に登場するのが、商人を中心にしたネーデルランド(オランダ)である。
●〈オランダ艦隊の大胆なインド洋横断航路 〉 オランダもスペイン、ポルトガルの没落を見て、独自の香辛料交易の開拓に乗り出してきた。 1598年、ヤコブ・コーネリアン・ファン・ネック提督の八隻のオランダ艦隊が、インド洋を横断してインドを目指した。ポルトガルが補給地に頼るアフリカ大陸に沿った航海をしたのに比べ、オランダ艦隊は大胆にもインド洋を横断する航路を選んだ。 ●これは自国の植民地を持たないために、最短の航路をとらざるを得なかったことによる。推理だが、ポルトガルが開いた航路の海図を手に入れていたことが考えられる。ポルトガルは、国勢の衰退と共に地図が流出したらしい。それにしても小さな帆船で、水と食料の心配をしながら、この航路を行くことは、死をもおそれぬ勇気ある行動であることはまちがいない。日本の鎖国は、日本人からこのような勇気を奪ってしまったのではないだろうか。
《ドードーの発見……文字による最初の記載》 補給基地を持たないオランダは、まっすぐにインドを目指してインド洋を横断した。 その途中でマスカリン諸島を発見した。食料と休息をかねて上陸したオランダ人にドードーは発見されたのである。その一年後、ヨーロッパに帰国するネック提督の艦隊に、生きたドードーが乗せられ、ヨーロッパの人々の前に姿を見せるのである。後にこの時の航海記が出版された。 関連記事『ドードーの百年』に詳細