《1599年、オランダ艦隊によりヨーロッパに連れてこられたドードー》

初めてのドードー
 生きたドードーがイギリスにつれて来られたのは、1599年に東インドから帰国するオランダ艦隊のフォン・ネック提督が、モーリシャスに立ちより一羽をつれて帰国したのが最初である。 この頃ヨーロッパでは、未知の国から、めずらしい動植物を集めて展示することが、王侯や貴族の間で流行っていた。貴族の遊びというよりも学問的好奇心からである、もちろん珍しい物を自慢したいことも動機の一つである。


アイコン 『近代科学の歴史を振りかえってみると、そもそも科学の研究なるものが、専門的な職業として社会に定着しはじめるのは思いのほか遅く、やっと19世紀に入ったころからであった』『要するに、それは本来、職業というよりは趣味的な色彩の濃い営みであった』(『道楽科学者列伝』小山慶太著 中公新書

この頃、学問は自分が好きでやるものであった。そのため生活に困らない裕福な階級(貴族)が知的な遊びで始めたものである。


そのためドードー以外にも多くの動物や植物が海を渡り、ヨーロッパの動物園・植物園や見世物小屋で公開された。有名な ハプスブルク家の皇帝ルドルフ二世(神聖ローマ帝国皇帝)も自分の動物園に一羽を購入した。これがヨーロッパに来た二羽目である。

ヨーロッパに来たドードー達
 
  一説によれば、少なくとも10羽のドードーが連れてこられたという。イタリアに1羽、ドイツに1羽、オランダに8〜9羽、イギリスには2〜3羽、ロンドンには見世物になった1羽だけだという、これ以外に何羽のドードーが連れてこられたか確かな記録はない。もちろん、絶滅から90年近くたっているので、ルイス・キャロルが生きたドードーを見たはずはない。  ドードーは日本にやって来たのか

《ルイス・キャロルはどこでドードーを見たか、親近感を抱いたのか……》

ルイス・キャロルの研究家によれば、彼が勤めていた大学の付属の博物館であるオックスフォード博物館で 見たことは確かであるという。 この博物館では、有名なルーラント・サーフェリー(Roelant Savery)の「ドー ドー」油絵が飾られていた。 この絵から、彼はドードーを物語に登場させることのインスピレーションを得たらしい。ここにしかないドードーの頭部や骨の展示をみていた。


もうひとつ、彼に決定的な衝撃となったのは「ドードー」の名前であると言う。ルイス・キャロルは、かるい吃音者であった。緊張すると軽い言語障害におちいり、人前で話すことが苦手であったらしい。しばしば自己紹介の時に、DO-DO-Dodgsonと発音したという。そのクセため、牧師になる夢を断念した苦い思い出がある。 失意のうちにオックスフォード大学の数学教師となったのだ。 彼が心に傷を抱いていた頃、ドードーに出会い親近感を抱いたのではないか。物語のなかのドードーは、彼自身の分身であるといわれている。

キャロルとドードの標本写真ーの骨
ルーラント・サーフェリー(Roelant Savery)が描いたドードー画(1650年)

ドードーの油画について……
 この絵は、オックスフォド大学附属・アシュモール博物館に飾られていた。ルイス・キャロルはアリス・リデルとの散歩中にこの絵をよく見ていたという。 上の写真は、1775年にドードーが捨てられたときに唯一残された頭部、脚、数片の骨である。これらがなければ、学者もドードーの実在を信じなかったという。
上のオックスフォード大学附属「アシュモール博物館」に展示されているドードーの骨は、1638年に 路上で見世物になっていたドードーであると言われる。

ボタン 《ドードーの学名は、ラフス・ククラトゥス》Raphus cucullatus) 詳細ページ (意味は『カッコウによく似た縫い目のある鳥』である)
  またリンネ(生物を種名と属名で表す 二名法を創り出したスウェーデンの生物学者)も、学名を「ディドゥス・イネプ トゥス」(Didus ineptus)、「まぬけなドードー」と意味する学名をつけている。
もともと名前は、鳴き声をラテン語にしたものだともいわれる。また昔の人が鳴き声を、「ドードー」とか「ディードゥー」とか「ドゥードゥー」と、聞いたためともいわれる。 ポルトガル語の「まぬけ」という意味の、ドゥオド (duodo)をラテン語風にしたのかも知れない。
アイコン 〈英語の慣用句になったドードー……〉
 "As dead as a Dodo"と"As dumb as a Dodo"のように使われた。


英語辞書では、その意味を「ばか」 などと記載している。また、使い方に「ドードーのように完全に忘れられた〜」(As dead as dodo)と慣用句がある(ブルーワ英語故事成語大事典)。当時はこの言い方が、語呂合わせのように芝居や歌にも使われたらしい。この人を馬鹿にしたような名前が、ルイス・キャロルの心に共感を呼んだのかも知れない。

《ルイス・キャロルによって有名になったドードー》
『不思議の国のアリス』はドードーを有名した。しかし19世紀になると、空想上の動物だと思う人が多くなり、専門の動物学者でさえ仮空の動物だと思う人がいた。  その後、絶滅 動物が多くの人の関心をよび、動物保護の機運が高くなったときに、絶滅したドードーは地球上で同じような似た姿をもたぬ孤立種であることから『動物保護のシンボル』となった 。
  そして今では世界中で、もっとも有名な鳥のひとつとなったのである。上の画もそうであるが、ほとんどの画がルーラント・サーフェリー(Roelant Savery)の画を参考にしている。手に入る参考資料がなく、標本も限られていたためである。


ドードーの基本だけを知りたい方は、第一章をクリック してください。

《アリスをもっと知るためのホームページ紹介》
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