アリスに影響を与えたふたりの画家

アイコン《悲痛のうちに精神がおかしくなり死んだグランヴィル》

風刺画家として成功したフランス人・ジャン=イニャス=イジドール・ジェラール(1803〜1847年)は、1803年生まれ、通称グランヴィルと呼ばれた。22才でパリに出て絵を描いた。後に彼は人物戯画で有名になった。
 当時のパリでは、人相見が流行っており、彼の出版した版画『現代の変身譚』1828年刊(現代の変身物語)は、人の顔を性格により動物に例え、動物の顔にしたものである。 19世紀のブルジュアなどをからかったものである。出版は1828年から1829年にかけて、中には71枚の彩色石版画がある、
世相にあい本も売れた。

しかし、有名になったけれど、あいも変わらず貧乏だった。出版して版元には、36000フラン(349万円)が入ったが、彼はたった25フラン(2426円)しかもらえなかった。この時代には今のような印税の慣習がなかったからである。当時のフランスの物価水準は分からないが、それでもイラスト代は不当に安いと思う。

グランヴィルイラスト






ジョナサン・スウィフト(1667〜1745)の「ガリバー旅行記」から、こびとの国に打ち上げられたガリバーの姿
右はドンキホーテの挿絵
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その後、彼は故郷のナンシーに帰った。そこで従姉妹のアンリエット・フィシェールと 結婚して三人の子供をもうけた。幸せであったが貧乏だった、妻は食べていくために、彼に大衆受けする画を描くことを強制した。もちろん家族の幸せを願ってのことであったのだが、生活のため画を描くことは彼にとって苦痛であり、不本意なことであったろう。その仕事ととは、1830年から政治風刺で有名になった雑誌『カリカチュール』に風刺画を描くことであった。彼を、この風刺画で知っている人が多い。(後のページで彼の風刺画を紹介しています)

彼は次第に自分のやりたいことが、どこにあるのか分かってきた。反権力志向の強い文学作品がそれである。スウィフトの『ガリバー旅行記』、デフォーの『ロビンソン・クルーソーの冒険』、セルバンテスの『ドン・キホーテ』(1847年)の挿絵がそれである。『もうひとつの世界』には188枚の挿絵を描き、詩の世界を見事に絵にしてみせたのである。シュールレアリズムの先駆となったのである。
                  次のページで、彼のイラストを紹介しいます。
 


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