《涙を誘う悲しいグランヴィルの人生……》 ●成功すればするほど、彼の心は自分のイメージを画にすることを求めたのだ。 彼の作品『パリジェンヌ・ピトレスク』は、人を凹面鏡でディフォルメしたような奇怪な画集であった。現在では見慣れた表現も、当時では冷笑をもって迎えられた。そのために彼は人間嫌いになり外出もしなくなった。 彼の心を開くのは子供達だけであった。子供を愛することだけが、かろうじて彼の精神を平常に保っていたのである。 ●〈不幸な最後……〉 不幸なことに子供の一人が病死した、追い打ちをかけるようにもう一人がパンをのどに詰まらせ死んだ。 彼の心はどんなに痛手を受けただろう。残った妻と子供と何とか生きていこうとした。このことだけが、彼の精神のバランスをたもっていた。 ● 1842年、妻が死亡。彼はますます自分の内にこもってしまった 。彼はまわりの風景の中に奇妙な形を見いだした、画集『もうひとつの世界』、『動く花々』(1846年、挿絵50枚)を出版した。 このことが批評家と大衆に嘲りと冷笑を持って迎えられると、彼は追いつめられていった。 最後に子供の死が引き金となり、彼の心はついに壊れてしまった。1847年3月17日、ヴァンヴの精神病院で孤独のうちに死亡した。彼が自分で書いた墓名銘が残されている。
詩人のボードレルもグランヴィルのことを…… ●詩人のボードレルが、詩のなかで触れている。私的なもので「彼は病的なまでに文学的だ」といっている、 彼の再評価は、1964年に『もうひとつの世界』が出版されてからのことである。 現代から見れば、何故こんなにメルヘンチックなイラストが不評だったか理解に苦しむのだが。 むしろディズニーを先取りしたような印象さえ受ける、時代が早かったのだと言うしかない。 ●アリスは『動く花々』から、いくつかのインスピレーションを受けていると言われている。 私もアリスがこの画から、本能的な優しさを受けたのではないかと思う。 ここから『不思議の国のアリス』創作に大きな影響を受けたのではないかと思う。
●もうひとつ、彼の人気を物語るものがある。当時人気のあった歌手ベランジュを題材にした『ベランジュのシャンソン』(1835年)も何度も版を重ねたようです。現代でも彼の描いた彩色石版画は本より切り取られ、額に入れられて販売されています。
1 踊る起きあがりこぶし 2「記者諸君、ロバは愚味の象徴と言った誤った意見に対して、ロバ自身動物法廷で異議を申し立てたいと考えているのであります。 3 生まれたばかりの茸たち君たちに言うのだけれど、これからは食通どもが涎を垂らすおいしいエキスの替わりに、猛毒の汁をじくじく出すんだよ。