月岡芳年の残酷絵 個人の戦いに焦点を当てた彰義隊の戦い 上野寛永寺 

『魁題百撰相 佐久間大学』 絵・月岡芳年 出版者・大橋屋弥七 明治元年(1868)制作 国立国会図書館デジタル化資料所蔵

佐久間大学は織田信長の弟の家来であったが、裏切り信長の家来となる。桶狭間の戦いで討ち死にする。人気の無い佐久間大学を何故選んだか不思議である。首から血を啜るのは友か敵か、残酷絵である。

『魁題百撰相 駒木根八兵衛』 絵・月岡芳年 出版者・大橋屋弥七 明治元年(1868)制作 国立国会図書館デジタル化資料所蔵

月岡芳年らしい見事な構図である。絵に描かれた人物は、種子島で鉄砲を研究したといわれる砲術の名人、駒木根八兵衛である。
『南陽話叢によると、駒木根は飛騨の人だが武門を脱して久しく、種子島の土民となり、砲術の名人で種子島砲術各派の祖である。島原の乱に耶蘇の一味として、子の鹿子木左京と篭城してほろびた。左京の嫡子が祖父や父と別れ、島原に篭城せずして紀州に来り、祖父の砲術の門人たりし根来の玉龍坊に隠れていたのを、南龍公が鉄砲の達人で伝授の秘書を伝えているを知り、三百石で召しだしたもので、切支丹ころびの八兵衛と呼ばれたという。』参考文献『温泉説話 藤九郎の話 その他』昭和10年3月17日発行 雑賀貞次郎著

『魁題百撰相 滋野与左ヱ門』 絵・月岡芳年 出版者・大橋屋弥七 明治元年(1868)制作 国立国会図書館デジタル化資料所蔵

滋野与左ヱ門とは、武田一族の武将らしい。真田幸村と共に戦う。絵は頭上で砲弾が爆発するシーンである、下から見上げた珍しい構図であり、月岡芳年らしい。
魁題百撰相の絵は、上野戦争で彰義隊と官軍の戦いを月岡芳年が実際に寛永寺でスケッチしたと言われているが、別の説では、江戸の歌舞伎役者 三代目中村仲蔵(1809〜1886年)の自叙伝(日記)『手前味噌』を参考にしたと言われる。当初、自叙伝は『二葉艸』というタイトルで瀬川如皐(せがわ じょこう)(おそらく三代目 1806〜1886年)に名づけられる。その後、四代目 桜田治助(?〜1897年)には『春風亭漫遊雑記』と名づけられましたが、雑誌『歌舞伎新報 523号』に連載するときに『手前味噌』に変わってたと言われています。(参照 みそを知る大百科 ホームページ
『手前味噌』の記述から
慶応4年5月16日 中村仲蔵は九蔵と共に上野輪王寺に見物に行く。戦場の生々しい惨状の様子を記述しています、残酷な記述なので省きます。この『手前味噌』を参考に月岡芳年は絵を描いたと言われています。
『手前味噌』三代目中村仲蔵著 校注 郡司正勝 発行 有限会社 青蛙房


中村仲蔵 舞踊・音曲世界から歌舞伎役者になる。売り出した当たり役は「忠臣蔵(五段目)」の定九郎である。今までの山賊姿から五分月代に黒羽二重の浪人姿に変えた、この姿が大当たり歌舞伎役者となる。
「忠臣蔵(五段目)の定九郎」歌川国芳 東京国立博物館所蔵

「忠臣蔵(五段目)の定九郎」勝川春章 東京国立博物館所蔵


『本能寺合戦之図』 浮世絵 さくら坊芳盛 出版社 愚息屋 具足屋嘉兵衛 明治2年 国立国会図書館デジタルコレクション所蔵
トップ目次に戻る  月岡芳年の詳細