喜多川歌麿が描く、江戸の絵草紙屋『鶴屋喜右衛門店』の店頭風景

珍しい喜多川歌麿が描く浮世絵ショップ 「江戸名物錦絵耕作」(三枚揃いの一枚)
 
 子供を連れた商家の女房か、店では綺麗な娘が客の相手をしたと言われるが、立ち姿の娘が絵草紙を捧げてくる。江戸の絵双紙屋の姿であろう。奥には掛け軸の肉筆画らしきもの、店中央には吊し売りと同じように大判錦絵が斜めに見える、美人画、役者絵、角力絵などが飾られている。制作年代は不明だが、寛永中期頃(1801)から晩年文化元年(1804)までであろう。2013.12.14更新

江戸の繁華街の大伝馬町に店を構える地本問屋「鶴喜」(鶴屋喜右衛門)。新しい浮世絵の売り出しか、左の絵では、客の呼び込み女性と男が少女に声をかけている。真ん中は上記に説明。右は刷り上がった浮世絵を手に持つ女性が見える。大判3枚揃い 喜多川歌麿の狂歌絵本を見る。

画題「江戸名物錦画耕作」絵師・喜多川歌麿 三枚揃 版元・鶴吉 鶴屋喜右衛門 大伝馬町の代表的な地本問屋 年代不明 普通は享保3年(1803)と表記される。東京国立博物館蔵



画題「江戸名物錦画耕作」絵師・喜多川歌麿 版元・鶴吉 鶴屋喜右衛門 大伝馬町の代表的な地本問屋 年代不明 普通は享保3年(1803)と表記される。3枚揃いの内2枚 東京国立博物館蔵

錦絵の制作工程を見る
 右の黒和服の女性が版元の人で、始めの墨一色の絵で輪郭線を確認している。この確認が取れないと後の作業が出来ない。もちろん見立絵で彫師など職人は全て男性である。


上の絵は彫師の作業場である、真ん中の女性は親方で毛彫りなどの頭彫りをする。作業している女性は粗彫りをしている。もう独りの女性は砥石で鑿を研いでいる。桜木の硬い板を彫るので刃が命である。職人の頭は、1ミリの幅に3本の毛を彫ったと言われる。

絵師が描く下絵(絵番付草稿)安政4年(1857) 国会図書館所蔵 拡大表示

版元が絵師に描かせた下絵であろう、彫師に墨線を彫らせるための打ち合わせよう下絵と思われる。絵の内容は、歌舞伎の演目紹介の浮世絵なのかどうか分からない。


  喜多川歌麿が描く山東京伝の店


山東京伝は江戸の偽作者である。俗称京屋伝蔵、画号北尾政演劇(きたおまさのぶ)と言う。浮世絵は北尾重政に学ぶ、天明二年(1882)に大田南畝に評価され花形作者となる。当時は現代のように印税システムがないので、戯作者の収入だけで食べられず、寛政4年(1792)に現在の銀座1丁目に御紙製煙草店を開き、享保2年(1802)には「読書丸」を売り出した。山東京伝にとって戯作は余技であった。

「山東京伝の見世」絵・喜多川歌麿 版元・和泉屋市兵衛 極印・天保年間末頃 東京国立博物館蔵

「山東京伝の店」絵・喜多川歌麿 版元・鶴屋喜右衛門 天保から弘化年間 東京国立博物館蔵 



 宮武外骨は、明治から大正におけるジャーナリストであるが、江戸・明治の世相風俗研究家でもある。著作の中に山東京伝を書いた一冊がある。山東京伝は、経営する煙草店の広告を、自分の草紙類で載せていた。宣伝に熱心であったらしい。彼以外にも地本問屋など版元も錦絵に描くなど、総じて広告に積極的であった。(上部参照)詳しくは右の拡大ズーム画像を参照してください。国立国会図書館デジタル化資料
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