ー高橋松亭は、内川の何処を描いたのか、撮影場所を探すー

昔の内川を描いた高橋松亭の新作版画ー内川
 
  画面には小舟が描かれている。明治12年(1879)の資料でも、内川の川幅は10メートル、深さ2.4メートルほどあった。寺田耕地(現在の地名は不明)まで遡ることが出来たと書かれている。(『大森村戸長役場書上帳』明治12年)


 大正6年(1917)に内川は改修され、現在のような東海道線路まで直線にちかい川になった。絵の上半分に海らしき水面が見える。手前が内川の流れとすると、現在JR線のあたりから暗渠が終わり、東京湾まで水面の見える川となる。

  明治から昭和の初期頃まで人家は少なく海が見えた、一幅の山水画のような風景があったと想像する。2009.10.08
 
←拡大表示 金山神社写真
金山神社
金山神社
金山神社…… 
 
  西之橋あたりに金山神社(右の写真)がある。絵の神社はこの金山神社を描いたのかも知れない。とすると富士見橋あたりから見た風景かもしれない。地図を見てその可能性に思い至った。もちろん写生された場所がそのまま絵になるわけでなく、高橋松亭は、海と川の水面に挟まれた雪野原を中央に置くことにより、雪降る静かな空間を表現したものであろう。(大森西2ー23番地)
第一京浜国道を潜る内川……
 
  大森橋付近、第一京浜の大森陸橋が見える。内川は新川が出来るまで、JRガードの新田橋から京浜急行「大森駅」下を潜り「内川橋」辺りまで蛇行していた。大正5年(1916)に工事開始、大正6年(1917)完成、新川と呼ばれた。古い内川は水量が多く流れが速いので「ドンドン川」と呼ばれていました
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