女性もも参加したとの伝承される女堀の難工事 六郷用水ー2

六郷用水の難工事
 密蔵院を過ぎ、観蔵院に向かう西嶺町あたりは、六郷用水の女堀が始まるところである。現在は暗渠化されて六郷用水の面影はないが、鵜ノ木に向かう小山は難工事であったことを想像させる地形である。台地から6メートルも掘りこんだと言われる。写真下のように緩やかに登るカーブは、山を掘削するためツルハシで硬い岩を砕き、女達がモッコで土を運ぶ作業を繰り返した所である。女性が参加したから女堀と言うが、これは俗説であるらしい。現在、岡の登り切ったところに女堀の記念碑がある。
六郷用水に沿って
湧水写真
写真は、復元された小さな女堀に注がれている湧水である。豊かな水量があり、江戸時代にも至る所から六郷用水に水が流れ込んでいたのであろう。写真は「西嶺町25番地」あたりの湧水(人工か)である


大田区設置の六郷用水案内板。昭和63年(1988)には全長30キロと書かれているが、資料によっては24キロと記載されているものがある。
下の写真は六郷用水案内板から下流方向へ進んだところ、右に大きくカーブしている。門のある家は室町時代からの旧家「天明家」である。天明家は平成30年に解体された。
女堀写真
六郷用水跡写真左の写真はカーブを曲がりきったところから見る。しばらく真っ直ぐ進む。途中に松山公園(復元された横穴墓)が右川にある。突き当たりは環状八号線である(下の写真)、渡たって丘の裾沿いに沿って進む。この先は環状八号線である。 この森は室町時代からの原生林である。2011年 、平成30年までに伐採され無くなった。都市再開発の結果である。また、上記の天明家の家も今は無い、平成29年に取り壊された。扉に戻る