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←入り口 ●左の写真のように道幅は2メートルほどでクネクネと続いている。進むと池上図書館横をすぎ、池上本門寺参道を横切り呑川方向へ進む。下の写真左は呑川方向への出口 |
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●左の写真、六郷用水跡の道にある。2点は戦前のマンホールと下水道蓋である、コンクリート製のマンホール蓋は都内でも少なくなり、この桜のマークは戦前の東京市の印である。右は下水の梅のマークのコンクリート蓋。 |
●呑川を渡る六郷用水 新井宿の耕地整理前には、堤方八寸の案内板あたりから平間街道を山下橋(今はない)で越え、養源寺橋あたりから呑川を横断した。分かれた六郷用水は洗足流れを合流して新井宿方向へ流れる(浄国橋付近下手)。 呑川を効果的に堰止めして渡したらしいが、仕組みは文章では良く理解できない、作図が出来たら載せます。渡ったあたりにも六郷用水の記念碑がある。 ●左の写真は堤方橋下流の呑川護岸壁、平間街道に沿った六郷用水は、ここで呑川と合流して川の真ん中に土手を造り六郷用水は、南に分かれて三大大森村用水へ、もう一つは女塚・蒲田方面に分かれる。呑川は堤方橋あたりまで満潮時の海水が水を押し上げて流れにくくなる。 呑川に向かう六郷用水跡の道。 |
●左の写真は、蒲田方向より見た直線部分。呑川は流れが停滞している。 |
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●案内板には、川の真ん中に堰を造り六郷用水を蛇行し始める双流橋あたりから大森・蒲田方向へ分流していた中土手の説明があります。現在は完全に埋められ六郷用水の痕跡はない。堤方橋から双流橋までほぼ直線となったのは呑川の河川工事のためである、同じ頃、六郷用水の大森・蒲田用水も廃止となり埋められたのではないか。 ●呑川は海が満潮になると中土手半ばまで海水が上がってくる、塩水が混じらないように中土手の位置が決められたのであろう ●左の写真は中土手を造り、分流した案内板。 拡大表示
案内板のイラストを拡大表示
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