●「芝区南佐久間二丁目の佐伯藩上屋敷の跡地」(赤枠部分)
民間向けの地図であり、かなり大雑把である。周りの大名屋敷跡も元の敷地の大きさであるようだ。明治30年の状態が実際どうなったか、この地図から確認できない。おそらく官許の地図に、アウトラインと文字を入れたのみで制作したのではないか。町名のブロック表示地図と考えた方が正解か、しかし、この地図で判ったことがある。
→『明治31年河原氏が芝区毛利公家より故あって譲り受け、自邸の表門に改め農村地帯に異風景を呈するに至った。』(新版『大森風土記』杉原庄之助著 大森史跡研究会編・発行 昭和10年9月)の「芝区」「毛利公家」とは素直に東京市15区の芝区であり、公家とは華族のことである。新倉義之氏が杉原庄之助氏の文章を引用した際に「芝区」を「芝」としたので、芝今里村の毛利家大名屋敷門を探すと言う大きな間違いを犯したようだ。付録の正誤表
●上方向は内幸町、右側は新橋方向、左は虎ノ門方向、下は麻布方向。
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