江戸名所図会の描く『長榮山本門寺』

 江戸名所図会の記述から
「祖師堂」はこれまでに2〜3回炎上したという、弘治元年(1555)11月炎上する、のち日洞上人が再建する。宝永7年(1710)、正徳3年(1713)は同じ火災かも知れないとある。

  祖師堂の左に釈迦堂、祖師堂の後ろに転輪蔵(現在の経蔵)、祖師堂に向かい左側には鐘楼と題目堂、鬼子母神、妙見堂、楼門(行基菩薩の作と言われる金剛・蜜迹の2像があり、古川薬師より移されたものという)、五層の塔、七面堂、宝蔵。また南谷にある檀所、日蓮大士荼毘所、日蓮大士終焉の旧跡(大坊)などの説明などが書かれている。

(注)
上記の画は、見やすいように5枚の画を写真上でつなげたものです。扉の一枚は省略しました。

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