夢告観音は昭和11年(1936)頃まで、ここにあったのか謎である
写真
写真左は、第二京浜国道からはいる目黒道(第二池上道)の入り口である、右の道路が第二京浜国道で、直ぐ先に右に登る嶺道がある。 中央の企業看板後ろに、ハマヨ地蔵を祀る堂宇がある。ここに夢告観音は移された。また、ハッキリ年代は分からないが、ここから南馬込の現在地に移動した(仮説)
ハマヨ地蔵写真
ハマヨ地蔵写真

ハマヨ地蔵の由緒や夢告観音とどのような関連があったのか不明である。写真で見てわかるように台座と地蔵様の材質は違う。ハマヨ地蔵には昭和12年(1937)造立の彫りがあり、新しいが台座はかなり劣化しており材質も夢告観音と同じと思われる。これから調査を重ねれば、歴史も分かるであろう。

2008年夏、判明したこと
 偶然にハマヨ地蔵の由来を伺うことが出来た。この御地蔵さまは交通事故で死んだ娘の霊を弔うために建立されたという、戦前(昭和12年)に前の第二京浜国道で幼い娘が交通事故で死亡、今のように信号はなく、交通量も少ないのに事故に巻き込まれ死んだ娘を哀れみ弔う地蔵様である。確か姉さんが存命で花を献じているようだという。住所 仲池上2丁目7番地
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