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●目黒道を歩く……4
猿坂を上がりきると、第二京浜国道で別れた嶺道に出る。この写真は第二国道からの嶺道で新幹線陸橋を越えたあたり、左は下り坂で学研からの上り坂である。道なりに真っ直ぐ進むとくねくね道になり、その先が環七の夫婦坂である。(下写真)
●右上の写真、左からの道は第二京浜国道からの嶺道である。右の道は耕地整理によって造られたバス通りである。 この道の完成により東京府下の補助道「馬込道」(府道66号線)は、第二京浜国道と環七、中原街道をつなぐ裏脇道となった。 信号を右に曲がると、長原から洗足池の中原街道にでる。車の進行方向が環七夫婦坂である。 |
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●目黒道の終点……夫婦坂 右の写真は夫婦坂である、渡ると坂になり上がりきったところを右方向に曲がると荏原町から中延へ行ける。信号の大通りは環状七号線で、右大森、左中原街道である。 夫婦坂付近は低地となり、昔このあたりから内川が始まる水源であったと言うが、現在の地形から推測できない。昭和初期頃は道も細く、竹藪や雑木林で囲まれた寂しい道であった。室生犀星氏の子孫の方によれば、今の環七の所は大地の裾ので小さな小川が流れていたと言う。 環七からの大森山王に行くバス通りの長い下り坂は、貝塚坂といわれる。古くから東側台地(右)より「貝・土器」などが出土する貝塚があったことから、小字貝塚と言われた。江見水蔭の冒険小説の舞台である。 |
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