北野神社の狛犬 両方とも子取りの阿像である。右像に股間に雄のシンボルがある


狛犬について

左の写真と下の写真は、同一の左の「子取りの阿像(オス)」であろう。その特長は、後髪が直毛であること、尾が左右に分かれていることである。また左右の狛犬とも「子取りの狛犬」である。子供は各一匹抱えている。下の写真は右側の狛犬、最初の撮影で「子取りの阿像」と思ったが、二度目に訪れたとき確認すると「股間に雄のシンボルがある」、阿像(メス)ではなく雄(オス)である。二匹の子供が足下と背中にいる。残念なことに背中の子供の頭部は失われている。推測では足下の子共と顔を見つめ合っていたのではないか。また耳はやや垂れ耳で獅子というより、犬の雰囲気を持つ。奉納は明治3年(1870)である。劣化が進んでおり長生きすることを願う。 境内には神楽殿、稲荷社、庚申塔三基、平和の神(戦没者慰霊地蔵堂)などがある。次のページに


狛犬写真右
狛犬写真右筆塚写真

尾の形状、左右に流れる。

北野神社について……
 神社内の立て札によれば、『祭神は菅原道真、天文年間(1532)頃に武蔵国荏原郡馬込村東谷の平林重郎左右衛門が京より北野神社の分霊を奉祀したものである』という。 450年前の開祖というかなりの古社である。場所も別当の万福寺そばにあり、古くから開けたところである。筆塚(地元の金子赤太郎が昭和12年(1937)の寄進)があり、大田区在住の文士達がお参りしたのではないだろうか。

写真上は境内にある筆塚である。昭和12年(1937)金子赤太郎氏の建立である。住所 南馬込4-13-24 富士講灯籠から環七方向へ100メートルほど行ったところ。