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●磐井神社について………江戸名所図会の磐井神社 『延喜式』の神名帳にも記載された古社、かつては鈴ヶ森八幡宮と呼ばれた寺である。八幡宮鎮座は天正年間頃(1573-92)だと考えられる。これは『江戸砂子温故名跡誌』享保17年(1732)に明記されている、『天正年間中に山城国男山八幡宮から八幡大神を移遷して鈴ヶ森八幡宮と称した』からの記述で確実であろう。 徳川幕府になり武家信仰の篤い八幡信仰を祭祀したのである。五代将軍綱吉、八代将軍吉宗なども崇敬が篤かったという。 また明治時代にも崇敬を集めた神社である、『明治元年戊辰年十月十二日、明治天皇御東行通輦の際、神祁祗官権判事平田延太郎延胤をして、當社へ御代拝せしめられ奉幣料千疋御奉納あり、……』(「入新井町史」昭和2年(1927)入新井町史編纂部 岩井和三郎刊) |
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●鈴石伝説…… |
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磐井神社の鳥居と社殿(現在は新しくなっている) |
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●境内には、二本のイチョウの木があり、樹齢は300年を越えると思われる。高さはほぼ16メートル。同じようにイチョウが綺麗な神社に馬込の湯殿神社がある。(上写真) ●昭和初期の磐井神社、「入新井町史」入新井町誌編纂部 岩井和三郎刊 昭和2年(1927)の口絵写真。 |
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昔の磐井神社 |
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●笠島弁天社柱の飾りである獅子の木彫りである。大正期の建築と言われている。(左写真) 合祀されている海豊稲荷神社目次扉に戻る |
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