義経伝説のある海苔業者の信心する三輪厳島神社


伝説によれば、源義経が多摩川を渡河しようとした時、嵐のため海まで流されたという、義経は岸に霞んで見える神社に向かい祈った、すると嵐は収まり無事岸に着いた。義経は神の加護に感謝して神社の社殿を修理した、今から800年前のことである。こののち正月11日には水神を祭り、浜辺には注連竹(しめたけ)を立てた。この注連竹に付着した黒い海藻が海苔(ノリ)であったと言われている。この海苔は鎌倉の将軍に献上したのを始まりとして、江戸幕府将軍家にも最後まで献上されたという。(厳島神社由来)
 この故事により、江戸時代から大森の海苔業者の信仰を集めたという。当時の三輪神社が羽田の自性院にある。自性院の牛頭天王堂(ごずてんのうどう)である

 
 
昭和3年(1928)に三輪神社と厳島神社が合併して三輪厳島神社となった。現在の拝殿は入母屋造正面千鳥破風軒唐破風付の造りで、昭和28年(1953)の再建である

像と獅子の写真厳島神社写真
社殿脇にある銭洗弁財天社 (ぜにあらいべんてん)
弁天様写真

龍にのる大弁才天女であろう、手に持つのは琵琶か。右は像と獅子である。象はよく知られた動物で八代将軍吉宗の時、長崎から将軍家上覧のため歩いて江戸にやってきたので、人々も錦絵などで見たはずである。

狛犬写真狛犬写真
上の写真は左側の吽像である。足下には子獅子がいる。

右側の阿像である、足下には鞠があり、左あしを乗せている。狛犬の確たる決めごとはないようで、阿像は雌と言われ子供を伴っているものだが、この神社では逆である。寄進は昭和7年である。


銭洗い弁天写真鳥居写真百度参り写真
左の写真はお百度参りの石らしい。さわれば百回お参りした御利益がある。大田区の多くの神社に見られ江戸時代の民間信仰である。  目次扉に戻る 狛犬目次