大日本名所図会に見る池上本門寺『万灯供養行列』

写真
上の絵は、明治44年(1911)に出版された『大日本名所図会85号』の口絵である。 (『東京名所図会 南郊一之部』東陽堂出版 昭和44年(1969)発行より)


池上本門寺の万灯供養行列……明治の頃
    毎年10月13日に行われる。前日12日は日蓮聖人の通夜にあたり、13日夜には各地から万灯を引いて池上本門寺を目指して集まる。画は明治の頃の御会式風景、大森方向より平間街道をやって来る。
 絵は平間街道(現在の池上通りではなく旧道のこと)を大森方向からやってきて、まさに参道にさしかかる付近である。中央は旅籠(はたご)であろうか、二階に見物用の桟敷が見える。装束や万灯も現在と同じような形で、違いは照明がロウソクから電球に替わった事ぐらいであろうか。本文の説明によれば、大森あたりから大変な見物人の人出で、大森から池上本門寺まで連なっていたという。夕方から深夜に掛けて数百基の万灯が御山を目指し集まってきたらしい。
 
  画の背景は参道から総門、此経難持坂、仁王門にかけて描かれている。日蓮檀信徒は「お籠もり」と称し、通夜をするもので一杯だったという。翌日の13〜14日には門前旅籠の市が立った。池上線は本門寺への参拝客のため引かれたものである。

 明治の頃は、万灯も画に描かれているように簡単なものが多く、終わったあと打ち捨てていく結社もあったらしい。また酒を飲んでの喧嘩も多かったという。参道や沿道には店も多く、子供相手の飴や柿なども売られていた。池上の名物として亀の煎餅があった、そば屋も近江屋が有名であった、明治から大正にかけて繁盛したが今はない。今あるのは「万屋」(角にある酒屋)ぐらいであろうか。(参考 「古老聞書」大田区教育委員会 昭和52年)

小林清親の御会式……昔のお会式風景
写真は、2003年の万灯供養行列である。左は古来からのスタイルの行列、次は、昔では考えられない、若い女性の纏(まとい)姿、上は日蓮聖人の故事を図柄にしたものである

「武蔵百景之内 池上本門寺」真生小林清親 小林欽次郎大黒屋出版 明治17年(1884)。国立国会図書館許可済み  

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