伝統を受け継いだシクラメン栽培 中馬込の宮下
写真 石碑 明治24年(1891)に新宿の新宿御苑でシクラメンの栽培が始まった。その後、明治32年には今の世田谷や品川区で造られるようになった。第二次世界大戦中は贅沢品と見られ、また、ガラスの温室は空襲の標的になると軍部から撤去された。戦後、昭和28年(1953)になると馬込地区の生産者が園芸研究会をつくり、シクラメンの育成に力を入れた。
シクラメンは大変に手間の掛かる花である。今でも個人の生産者が栽培しており11月の花の咲くときには、温室で直売されている。

写真 中馬込風景

写真はシクラメン栽培の温室が立ち並ぶ中馬込付近である。昔は宮下と言われていた。左側松の横に新幹線陸橋(アーム状)が見える。その下は、現在横須賀線が走っている。そこは、第二京浜国道と臼田坂からの田無街道が交差する馬込坂の頂上付近である。宮坂を下がると夫婦坂あたりからの低地で、宮下、和田、将監谷とつながる。昔は内川が夫婦坂あたりから流れていたと言われる、しかし品鶴線の工事(昭和4年開通)により断ち切られ大きく変わったのではないか。品鶴線は盛り土をしてあり、水を通したトンネルらしき跡も見られる。写真左側には馬込貝塚の台地が広がる。電柱横に公園があり、「シクラメンゆかりの里」の石碑がある。

目次に戻る