●アーネスト・フェノロサの一番の功績といえば、日本人に自国の美術品(芸術)に価値がある優れたものだと誇りを持たせたことにある。西洋一辺倒の時代に日本のものに目を向かせたことにある。明治15年、上野の教育博物館で行われた講演で発表された『美術真説』は日本画の再興の道筋を示すものであった。 この動きにフェノロサと共に乗りだしたのが、狩野芳崖であり、大きなうねりを作り以後の日本美術界を牽引していったのが岡倉天心である。フェノロサが道を開いたことに間違いはない。時代が日本への回帰に向かう時だったといえる。 |
明治37年(1904)にフェノロサの後を継ぎ、ボストン美術館東洋美術部長になったのが岡倉天心である。彼は、大正3年(1913)に亡くなるまでボストンと日本や中国、ヨーロッパの間で過ごす。二人によって体系的な日本美術が残ったのである。 |
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