●土俗的な風習への圧力は廃仏毀釈の狂気が収まった明治4年以降も、近代化政策(文明開化)のもとに押し進められていった。六十六部の禁止、普化宗の廃止、修験宗の廃止、僧侶の托鉢禁止、祈祷などの禁止などである。
●修験道(しゅげんどう)……
特に神道とも 仏教とも違う修験道は、神仏分離の大きな影響を受けた。吉野や羽黒山の修験の中心地は、蔵王権現を祀る蔵王堂を中心におおくの神社や寺があったが、明治7年に全山を神道化せよと命じられた。激しかったのは出羽三山で、道にあった地蔵様も谷に突き落とされた。
〈冨士講の禁止…〉
富士山を霊山として信仰する富士信仰が、禁止されたのは明治7年(1874)の頃である。山頂には大日如来や多くの仏像があったが、全て除かれて山麓にあった浅間神社が移され山頂に据えられた。大田区にも富士信仰の冨士講の跡がある。
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