明治人の気骨か、独力で橋を架けた鈴木左内の左内橋
古写真 六郷渡し
写真『多摩川六郷橋付近』 
国立国会図書館蔵 許可済み、国立国会図書館の許諾なく転載を禁止します(2003年)
小川真一撮影の六郷橋『SIGHTS AND SCENES ON TOKAIDOO』収録 明治25年5月12日発行、小川真一は明治写真界で活躍した。
 

六郷川に橋を架ける
  江戸時代初期から186年間も「渡船」しかない多摩川(六郷川・六合川)に、一個人(鈴木左内)が木橋を架けたのである。当時の状況から、それがどんなに大変なことであるか、現在からは想像すら難しい難事業であった。


鈴木左内は、八幡塚村(今の六郷付近)の最後の名主を勤めた人である。歴史を振り返ると、徳川家康が慶長5年(1600)に六郷大橋を架けている、何度も修理を繰り返したが、貞享5年(1688)に洪水で橋が落ちると二度と橋は架けられなかった。
  以後「六郷の渡し」となり「渡し賃」も、最初は八幡塚村の扱いであったが、後に川崎宿の独占となった。八幡塚村は失った渡船権を取り戻すため、村を上げて願い出たが駄目であった、その先頭に立ったのが鈴木左内である。
 
  明治になり八幡塚村は「渡船」から架設橋にすることを願い出た。その背後には、鉄道の木造橋梁の完成(明治4年6月)が人々の意識に近代化の必要性を見せたからに違いない。激動する明治初期の変革は、品川県から東京府に替わり、村三役から戸長に替わるなどした、鈴木左内も名主を解かれた。動揺は村民に広がり、村の架設願いを取り下げる事態にまでなった。村人は降りてしまい、代表であった左内1人の架設願いになったのである。
 
  鈴木左内のひとりでも橋を架けると言う気力はどこから出たのか。新しい時代に参加するという「進取の気性」ではないか。確かに彼は「筏宿」を経営をしていたが、儲けのためでなく、私財を架けて架設事業を始めた。明治7年(1874)、左内37才のことである。この時、北品川の芳井佐右衛門と北大森村の塩沢重蔵の二名に資金援助などの事業参画を求めている。


明治7年(1874)1月21日に左内の六郷橋は完成した
  橋は長さ108メートル(60間)、幅5.4メートル(3間)、松の丸太三本建て橋杭が全部で21脚ある。総工費3562円17銭5厘の巨費である。左内は借金をしてまで工事を進めたのである。政府からは52ヶ月あまり渡船料を取ることを許された。1人3厘、人力車1台1銭、馬車一両6銭2厘である。順調にスタートしたが、左内の予想を裏切ったのは、洪水や橋桁に筏がぶつかるなどの事故である。修理に多額の費用が掛かるのである。大きな修理でも4回もある。そのため「金喰橋」「厄介橋」などの陰口をたたかれた。左内は私財を投入し続け、回収のため有料期間の延長を求めたが却下された。

不運なことに明治11年9月15日の大洪水で大部分が流失した。  
  これ以後、2度と橋はかからなかった、「左内橋」は4年の短い命を終わった。その後、左内は経済的破綻からか、以後の架設事業に名前を見ることはない。しかし彼のおかげで橋の重要性が認識され、時代の先駆けになったのである。また、橋が出来ると離職する渡船場の水夫25名に250円の離業扶助を出すなど、儲け一辺倒の人間ではなかったのである。彼の情熱と私財の提供がでなければ、左内橋は出来なかったことだけは確かである。

左内橋が亡くなったのち  
  明治46年川崎駅、八幡塚村の有志が集まり「六郷橋」が築かれた。渡船の水主達は渡船5隻の内、2隻の営業継続許可を求めた。許可がおり、一時的に橋と渡船による往来が行われた。
橋は明治18年7月、明治35年5月に破損、修理の間渡船による渡しが行われた。その後、大正14年(1925)、木橋に替わり現在の六郷橋が完成した
(注・鈴木左内の墓は大田区東六郷の観乗寺にある 東六郷3ー16ー1)


写真は明治30年頃の六郷橋付近、手前に筏の貯木場らしき施設があり、右奥に富士山らしき風景があるところから、大田区側からみたところらしい。(永沢写真館撮影)
古写真
撮影者は幕末に日本にやってきたイタリア人写真家、フェリーチェ・ベアドである。またはフェリックス・ベアト(Felix Beato)英語表記もある。

  彼は「生麦事件の現場写真」や「箱根旧街道の杉並木」写真などで知られている。彼は、幕末に日本に来た外国人たちに、日本土産として「風景や風俗」を写した写真を販売。横浜に店を構えていたと言います。
左の写真は、川崎側の六郷の渡し。
注・フェリック・ベアドはイギリス人と表記されている本もあるがイタリア人である。イタリアが一時期イギリスに占領されていたときに生まれたらしい。(イタリア文科省からの指摘により修正記載)

《参考資料》
『大田の史話』大田区史編さん委員 新倉善之編 大田区発行 昭和63年(1988)
『 博物館ノート NO 29』 大田区立郷土博物館発行
『都市紀要三十五 近代東京の渡船と一銭蒸汽』 東京都発行 平成3年(1991)
『左内のかけた橋』 田中弥次右衛門 史話 創刊号 大田区 昭和49年(1974年)
『六郷渡船との別れ―明治期の渡船資料―』三輪修三 史話 12号 昭和50年(1975年)
『近代六郷橋の変遷について』平野順治 大田区立郷土博物館紀要 8号 昭和52年(1997年)
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