歌川国芳のお化け屋敷、何かコミカルなお化け達「化物忠臣蔵」


浮世絵画題「百物語化物屋敷之図」、「林屋正蔵工夫の怪談」 絵・一勇斉国芳(歌川国芳) 版元・川口屋卯〔宇)兵衛 極印のみ 天保年末から弘化年(1844) 東京国立博物館蔵 拡大表示

初代 林屋正蔵(1811年)は、江戸の落語家で「怪談の正蔵」の異名をとる怪談話上手であった。初代から4代までは林屋の屋号を使い。以後は林家となる。絵は落語に出てくる化け物を描いたようだ。国芳にしては古典的な描き方である。北斎の絵を参考か。

 《化物忠臣蔵シリーズ》

左から2段目、1段目 拡大表示

左から4段目、3段目 拡大表示
浮世絵
左から6段目、5段目 拡大表示

左から8段目、7段目 拡大表示 
浮世絵
左から10段目、9段目 拡大表示

左から11段目の下、11段目 拡大表示


画題「化け物忠臣蔵」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)版元上金 上州屋金蔵 下谷池之端 12枚揃いとなっている。12枚目は泉岳寺の絵か。天保年間末頃 中判錦絵

歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」の場面を描いているのであろうが、あまりにも奔放で説明しづらい国芳の構成である。現代の漫画に通じるコミカルな表現である。

実在・佐倉惣五郎の歌舞伎「東山桜荘子」から朝倉当吾の幽霊


佐倉惣五郎は、佐倉藩(現千葉県)の農民を苦しめる悪性から救った実在の人物だが、本人は家族ともども極刑に処された。それを恨んで化けて出る話である。

国芳が描く伝統的な幽霊、職人国芳は「こうゆう風に描けるんだよ」と素晴らしい幽霊を描いた。目の中は血走っており、髪は不気味に抜け落ちて後ろに飛んでいるようだ。その頭部には青い死斑が浮いている。部分拡大で見て欲しい。全身拡大

「朝倉当吾亡霊之図」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)名主印・米良太一郎・渡邊庄右衛門 シタ賣 版元・鳳来堂 住吉屋政五郎 弘化4年から嘉永5年(1847〜1851)国立国会図書館デジタル化資料
  歌舞伎では、嘉永4年に江戸中村座で上演、「東山桜荘子」の演目で、朝倉東吾は市川小団次であった。部分拡大

浮世絵
浮世絵
 ●番町皿屋敷に題材をとった初芝・
お菊の亡魂・粂山鉄山

上の浮世絵は、嘉永三年(1850)、江戸中村座で上演された皿屋敷に、題材をとったものである。演目は「実成金菊月」(みのりよしこがねのきくつずき)である。(参考・早稲田大学演劇博物館)
 また皿屋敷に題材を取った「播州皿屋敷」があります、浄瑠璃でつくられ、のち歌舞伎にもなりました。舞台は播州姫路 で、御家乗っ取りを企む国家老浅山鉄山の暗躍と、腰元お菊への横恋慕、その挙げ句殺害する。そしてお菊の亡霊に悩まされる物語です。

もう一つは岡本綺堂がつくり、大正5年(1916)に上演された歌舞伎「番町皿屋敷」です。岡本綺堂自身が麹町に住んでいたので、元の地名で脚本を作りました。主人公も元の旗本青山播磨です。