■日本独自の「狛犬」とは……中国(唐時代)から 日本へ伝播した狛犬………
日本への「唐獅子」伝播は、弘法大師の帰国で中国から密教(東密=真言宗系)と共に持ち込まれたらしい、この正式な仏教伝来以前、渡来者によりすでにもたらされ、「獅子」として知られていたらしいが詳細は不明である。密教伝来以後、仏教において守護者として一対の獅子となり、共に口を開き、他者を威嚇するように座った姿となった。それらは「仁王の阿・吽像」と同じように寺院や墓所の入り口に置かれた。また、宮中では御簾(みす)の重しとして置かれたらしい。仏教において、その姿は「文殊菩薩像」に菩薩が乗る青い獅子の姿として知られている。寺院に置かれた獅子は全身を金箔に塗られた木像が多い。今のような石造り狛犬ではない。
■ 驚いたことに2006年の正月、NHKを見ていたら再放送のドキュメンタリー番組『永平寺』(曹洞宗大本山)で、祭壇の前に、おそらく彩色された木像の獅子が何匹(おそらく4匹)も置かれていた。これにより、改めて寺に置かれた獅子の役割を再認識した。
■仏教における獅子の霊力……獅子頭とは何か
仏教では獅子の頭には、霊力があり悪を食べてくれると信仰された。その思いは、今の都会では見ることの出来なくなった「獅子舞」となり各地で伝承されている。昭和30年代(1955~1965)、大田区でも正月には獅子舞が見られたと記憶している。獅子舞の「口をパクパクと開ける」仕草は人を食べるのではなく、人に巣くう「悪」を食べる演技である。獅子の頭だけでも霊力があると考えられたので、多くの仏像にも彫られ、愛染明王の頭上にも獅子の首「獅子冠」が付いています。また「知」を司る菩薩文殊菩薩(もんじゅぼさつ)でも獅子に乗っています。神社建築でも獅子像は数多く飾られている、
■動物の霊力は「毛」にもあるとされる。

獅子の巻き毛は、特に強い霊力を持つと考えられて巻き毛の模様を「獅子毛」と呼ぶ。獅子の狛犬はカールが多く、犬の狛犬は軽いウエーブである。毛の表現はバリエーションが多く決まりはない。この表現は日本的獅子である狛犬になっても受け継がれており、江戸時代の狛犬に数多くのバリエーションが見られる。
古い獅子像は、左右対称の同じ形をしており口を開けた獅子像である。宮中の年中儀式や制度を定めた『延喜式』(平安中期)には、想像上の動物「じ」が目出度い動物として記載されている。これが狛犬に直接つながる祖先であると言われる。「じ」は牛に似た灰色がかった黒い動物と言われ、角が一本あると言われた。平安時代に獅子は「唐獅子」の姿になり、狛犬は「じ」の姿を描いていたように想像されると伝わる。古来、獅子と狛犬は別の動物であったのである。
また、獅子と区別するために、狛犬には頭に角(一角)がある。邪気を払うためだと思われるが、初期の角は長くたくましい。時代が下がるにつれ短く、ついには痕跡を残すのみとなった。それは狛犬の姿が獅子化していったと同じくしている。姿の区別がなくなり、「口を開けた狛犬阿像」と「口を閉じた獅子吽像」となっていった。初期の頃には「獅子・狛犬」と呼ばれていたが、単に狛犬と呼ばれるようになった。龍田神社(奈良県生駒郡斑鳩町龍田)には角の長い初期の狛犬がいる。
■『日光東照宮に唐獅子は129体存在する』『角や牙はない、鼻はいわゆる「獅子鼻」、首や脚は短く、胴体は虎よりは少し太め、足は猛獣型で爪を持ち、襟足の体毛は渦を巻き、尾は火炎状である』
日光東照宮の神職高藤春俊氏はその著書(『日光東照宮の謎』講談社新書 1996年刊)で「唐獅子」の特徴を上記のように述べている。日光東照宮の江戸初期、三代家光の頃である。
家光の頃は、寺社は幕府の作事(建設)であり、狛犬なども勝手に造ることは出来なかった。
(注)狛犬は仏教の伝来と共に伝来。平安時代には「木彫りの狛犬」が多くみられる。「石造りの狛犬」は鎌倉時代からである。これ以外にも「陶器製の狛犬」「金属製の狛犬」があるが、私が調べて撮影しているのは、大田区の「石造り狛犬」だけである。次のページに石造り狛犬の歴史があります。また、東京都で一番古いのは目黒不動尊の狛犬で江戸承久三年(1654)の年号である。
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