中央の格子にある影法師(かげぼうし)は花魁の分身(無意識)か、
又は応為の分身か、分析心理学で考察する
葛飾応為の代表作である。光と影の画法に自信を持った作品である。
「吉原格子先之図」款記 三つの提灯に「應」「為」「榮」印章なし 
紙本 着色 一幅 26.3×39.8p 太田記念美術館蔵


「ていじょみさほ鏡」一勇齋国芳 ボストン美術館 ↑
応為の構図の特徴として、画面の中央に重要なポイント(画像)を置く癖がある。格子前面に座る花魁の影法師(影)は、後ろに並ぶ花魁達の中で、唯一顔が見える花魁の投影された影法師(花魁の分身)である。

葛飾応為も北斉の死後、職人仕事から自分の作品を描くことを始めたとき、彼女の無意識が浮かび上がってきました。ユングが元型と呼ぶ、六つ元型の一つ『影・無意識・分身』です。北斉が苦しんでいた画の構想を彼女も経験することになったのです。彼女は無意識(分身)との対話を始めたのです。その結実が『吉原格子先之図』と『夜桜美人図』です。浮世絵では、これまで、これほど暗い夜の風景を描いた作品は少ないと思います。夕方頃の風景で、充分明るく、応為のように暗闇ではありません。応為は自分のスタイルを確立したと思う。(私見)

下絵では、影は花魁が格子の処に座った人物を画く予定だった。しかし、描かれたのは、影法師で障子に映った影(シルエット)である。この影は目や鼻も見えない薄ペラな影である(参照・一勇齋国芳 浮世絵)、勿論、吉原の格子に障子は無い。 何故か、今までの応為ならば写実的に描くであろう、それだけの技術もある。背中も室内の灯りでラインが見え、顔も前の人物の持つ提灯で仄かに見えるはずだ、その方が写実的である。何故に応為は輪郭だけの影にしたか。影は、紙の人形の様に薄っぺらな人物だ。これは顔のない影法師・花魁の分身だ。花魁の隠された心の内を語る影法師(分身)である。

だが、格子の外の人間には、影法師は見えないかも知れない。応為が計算したイメージなのか、華やかな花魁の世界に隠された影の部分をこの影法師(分身)が語る。また、この影法師は応為の影法師(無意識・分身)でもある。華やかに輝く北斉の影に隠れた応為の姿である。北斉の分身(影法師)が葛飾応為である。本体(北斉)が死ぬと分身も死ぬ、応為は自分が分身だと分かったが、『吉原格子先之図』と『夜桜美人図』を創ったのが応為の自信になり、「筆で一本で生きていける」と述べている。葛飾応為の最期の記録はなく、書き手の想像で諸説ある。(私見)

「夜桜美人図」は葛飾応為の傑作である。夜のイメージを暖かく纏め、恋する乙女の美しい絵になった。「三曲合奏図」「関羽割卑図」で自分の構成スタイルを確立した。この「吉原格子先之図」で自分の思い(メッセージ)を絵にする事が出来た。

ユングの分析心理学では「自分の分身(無意識)」との対話を重視する。応為の影は北斉である。北斉は技術がすごいと思われがちだが、画面構成とシリーズ全体のバランスを考える構成力がすごい。例に挙げると「瀧シリーズ」は小さな赤坂の瀧から那智の滝までの色々な瀧を描いてみせる。並みの力量でない。それを間近で見ていた応為も自然に考える力を付けた。下の提灯の影は画に現実感を与え、ポイントとなる力強い描写である。浮世絵には影は描かない。

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