戦災を逃れ生き抜いた五重塔は、冬の斜めからの光を受け、美しく輝く

五重塔の歴史……江戸から現在へ
    江戸時代 慶長12年(1607)に秀忠の病気快方を願い建立したものである。願ったのは秀忠の乳母・正心院日幸尼(岡部局)である。国の重要文化財に指定されており、関東最古の五重塔である。
 高さ29.37メートル(相輪から基壇まで)、屋根は一番下と二番目が「本瓦葺き」、三番目からは「銅板葺き」となり屋根の重量軽減を計っている。また建築様式は初層が和洋、他4層は唐様である。他の五重塔と比べ屋根の大きさの違いは少ない。

五重塔は慶長19年(1614)に地震で傾いたが修理され、元禄15年(1702)に祖師堂前から現在の位置に移築された。6度ほどの小修理をへて昭和32年(1957)に大がかりな屋根瓦葺き工事をする。しかし、全ての部材におよぶ前解体工事は初めてである。平成9年(1997)から5年をかけて行われた。修理はなるべく古い部材を残す事を基本に行われた、ただし見えない構造材には炭素繊維板を使用するなど補強に注意している。塔全体は弁柄塗りとなり、彫刻なども彩色されて初層内の全体が黒漆塗りとするなど往年の輝きを取り戻した。塔内には一塔両尊像と四菩薩像が安置されている、今回の修理で仏像も金箔仕上げとなった。また、釈尊像胎内から「今井善左衛門吉久作」の銘文も発見された。

軒下は鳥害を防ぐための金網がつけられている。そのため、写真ではボヤッとして見える。晴れた冬の夕方、日が落ちる寸前に五重塔の相輪全体が光りに照らされ、五重塔がシルエットになるととても幻想的になる。

 左写真・拡大表示   江戸名所図会の池上本門寺

重要文化財「本門寺五重塔保存修理完成記念一般公開資料」 大本山 池上本門寺・大田区教育委員会制作 
2002年5月11日・12日パンフレット。
 
春の五重塔 雪の五重塔

写真は鐘撞楼である、明治15年頃の写真。「ケンブリッジ大学秘蔵明治古写真、マーケーザ号の日本旅行」より、絵ハガキにもなっている。

人が中央付近下に見える。建物が意外に大きいことに驚く。また木の大きさが数百年を経たように見え、本門寺は鬱蒼とした森に囲まれていた事が見て取れる
。現在の五重塔を取り巻く風景は桜の木々である。杉の大木は昭和二十年四月十五日の空襲で全て消失した。
 
奥に見えるのは五重塔である。手前は鐘撞楼と思われる、いつこの鐘撞楼がなくなったか不明だが、おそらく戦中に、池上本門寺が焼夷弾爆撃で消失した時と考えている。

五重塔内部の仏様は『一塔両菩薩』と『四菩薩像』が安置されている。造立された時代は慶長12年(1607)6月6日と考えられている
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