『不忍禽譜』幕府御家人・屋代弘賢編 写本一帖
『不忍禽譜』屋代弘賢編 約40図を収録

 漁師が前世を悔いて坊さんが助ける話は、全国各地にある。その一つが『日蓮上人石和河にて鵜飼いの頑迷を済度したまうの図』である。漁師が前世を悔いて坊さんが助ける話は、各地にある。『日蓮上人石和河にて鵜飼いの頑迷を済度したまうの図』である。

「善知鳥(ウトウ)」チドリ目ウミスズメ科、 鳩ほどの大きさ、繁殖期には嘴の上に突起を生ずる。砂浜に穴を掘り産卵する。北海道・本州北部の離島に生息する。国立国会図書館デジタル化資料 
「善知鳥(ウトウ)」北太平洋地域に生息する。ウトウは世阿弥の謡曲「善知鳥」で有名である。  世阿弥の『善知鳥』とは、立山信仰にある「地獄草紙」や津軽地方の民謡「珍鳥説話」などに題材をとった。 内容は、『立山にさしかかったとき、漁師の亡霊が現れ、妻と子に簑笠を届け仏壇で供養する事を願う、漁師はウトウの雛鳥を捕獲していたため、地獄で鬼と化したウトウにせめられていたのである』。ウトウには、親鳥が「うとう」と鳴くと、茂みに隠れていた子の鳥が「やすかた」と鳴いて居場所を知らせると言われる。その性質を利用して、猟師が雛鳥を捕獲すると、親鳥は血の雨のような涙を流していつまでも飛びまわるという言い伝えがあり、そのために捕獲の際には蓑笠が必要とされた。(国立国会図書館デジタル化資料)

善知鳥(ウトウ) 国立国会図書館デジタル化資料 

本
鳥骨格

屋代弘賢(やしろひろかた)(1758〜1841)とは………
  通称は太郎、名は栓虎。後に栓賢、弘賢、栓丈と改める。号は輪池である。江戸幕府幕末の御家人、22才で家督を継ぎ、天明元年(1781)に西丸台所に出仕、寛政5年(1793)奥右筆所詰支配勘定格になる。文化元年(1804)3月御目見以上に昇進する、文化2年(1805)にロシアに対する幕府の返書を清書する。『藩翰譜続篇』『寛政重修諸家府譜』など幕府の編纂事業に参加、『古今要覧稿』編集の中心となる。
花和己一に国学を学び『群書類従』の編集に関わる。文化人(柴野栗山・成島司直・小山田与清・大田南畝・谷文晁)との交流もあり蔵書家でもある。上野不忍池に「不忍池」文庫を造り、5万冊を収蔵する。(参考・国立公文書館)

「鷹骨格」 珍しい骨格の画、他の図譜には見られない骨格の画である。
   (国立国会図書館デジタル化資料)

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