源頼政も貴族であり「源三位」とも称され、歌人でもあった

源頼政は大内守護であり、優れた歌人であった。
保元の乱では後白河院につき武勲を挙げる。その後の平治の乱では平氏方につき源氏ではただ一人の参陣である。治承2年(1178)12月、平清盛の推挙により従三位になる、武士では異例の出世である。
また小侍従は恋人であったと言われる。
 治承4年4月、高倉宮以仁王の令旨により打倒平氏の兵を挙げる。しかし準備不足のため失敗、宇治の平等院 にて切腹する。薨年七十七才である。墓は現在も平等院鳳凰堂にある。
 歌人としても活躍、鴨長明にも「今の世には頼政こそいみじき上手なれ」(『無名抄』)と評価される。自撰と言われる『源三位頼政集』がある。
 深山木のその梢とも見えざりし桜は花にあらはれにけり(詞花17)
 『深山の花』という題に見事に答えたと言われ、平家物語にも記載されている。 (『平家物語』巻一 御興振)
  今宵たれすずふく風を身にしめて吉野のたけ嶽に月を見るらむ(新古387)
  埋れ木の花さく事もなかりしに身のなる果ぞ悲しかりける(平家物語)
     これが辞世の詞である。源頼政の詳細

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