源頼政の恋人と言われ、「待宵の小侍従」とあだ名された小侍従

小侍従
こじじゅう
(1121〜1201頃)

紀氏。石清水八幡別当大僧都光清の娘、40才頃に夫と死別すると二条天皇の下に出仕する。後に太皇太后多子に仕え、さらに高倉天皇に出仕する。歌は出仕後に始めたようであるが、才能ある女読み手と称される。
 特に「待つ宵の……」の歌は評判となり「待宵の小侍従」と異名がある。。後徳大寺実定・俊成・平忠盛・西行ら多くの歌人と交遊した。歌の贈答からすると平経盛・源雅定・源頼政・藤原隆信とは特に親密だったようである。
60才で出家してもなお後鳥羽院花壇で活躍する。家集『小侍従集』がある。

小侍従ははなやかに、目驚く所よみ据うることの優れたりしなり。中にも歌の返しをする事、誰にも優れたりとぞ(鴨長明『無名抄』より)。

「待つ宵のふけゆく鐘の声きけばあかぬ別れの鳥はものかは」(新古1191)
【通釈】恋人を待つ宵の更けゆくことを知らせる鐘の音を聞けば、嫌々別れなければならない朝を告げる鳥の声も物の数に入るだろうか。参照・千人万首より



新三十六歌仙図帖作者・狩野探幽 東京国立博物館所蔵「新三十六歌仙画帖」12番 小侍従の歌
葵をよめる
いかなればそのかみ山の葵草年はふれども二葉なるらむ(新古183)
【通釈】どういうわけだろう、その昔という名の神山の葵草は、賀茂の大神が降臨された時から、多くの年を経るのに、いま生えたばかりのように双葉のままなのは。参照・千人万首より
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