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●「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)版元・鳳来堂
住吉屋政五郎 嘉永五年(1852)東京国立博物館蔵 |
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●「大日本名将鑑 鎮西八郎為朝」 画・月岡芳年東京都立図書館所蔵 ●「新形三十六怪撰ー為朝の武威痘鬼神を退く図」画・月岡芳年 東京都立図書館所蔵 ●「武者旡類 鎮西八郎為朝」 画・月岡芳年 東京都立図書館所蔵 |
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●上の2枚は、伊豆大島に流された為朝を描いている、側にいるのは伊豆大島の島民である。「大日本名将鑑 鎮西八郎為朝」の島民は、鬼夜叉と言う為朝が女護島(にょうごしま)で妻にした父親である。家来となった鬼夜叉は、主君の身代わりとなり、館に火をかけ自刃した。逃れた為朝は琉球に渡り賊軍を平定した伝承を題材にした2枚である。 |
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●『為朝誉十傑ー白縫姫
崇徳院」画・一英齋芳艶 安政5年(1858年)8月 三枚揃い ボストン美術館所蔵
滝沢馬琴の『 椿説弓張月』の一場面。鎮西八郎為朝の妻「白縫姫」が讃岐に流罪となり、魔道に落ちて天狗となり果てた崇徳院に会う場面。国芳の弟子である芳艶らしい。 |
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