「日本映画誕生100周年記念作品」として東宝の威信を賭けて製作された
市川崑監督、高倉健主演の「四十七士人の刺客」(1994年)

映画の概要
幕府の権勢を誇示するために浅野内匠頭に切腹を命じ、赤穂藩を取り潰した片手落ち採決に抗議、仇討ちによって、その面目を叩き潰そうと目論む大石内蔵助。吉良上野介をそれから守る事によって幕府の権勢を維持しようとする米沢藩江戸家老・色部又四郎。この2人の謀略戦と大石と一文字屋の娘「かる」との恋を中心にした『忠臣蔵』を描いている。

本作は他の忠臣蔵とは大きく異なる構成である、『忠臣蔵』で定番とされてきた江戸城松の廊下での刃傷事件の描写、浅野内匠頭の切腹、赤穂城での会議、大石内蔵助の放蕩、火消し装束での討ち入など今までの忠臣蔵の泣かせ部分はほとん省略されている。また、浅野が吉良を斬り付けた理由は最後まで謎とされ、明かされる事は無かった。そのことが、他の『忠臣蔵』とは違ったリアリティをこの作品に持たせている。また、大石内蔵助親子が刺客に襲われるシーンを創るなど工夫も凝らしている。

一方で、吉良邸内に迷路があったり、庭に障害物競走を想像させる水の溜まった溝があったりと、歴史考証に疑問を感じさせる部分がある、原作に描かれている大部分を省略しているなど、批判的な意見もある。なお、脚本には映画脚本家でもあった原作者も池上金男名義で参加している。個人的な意見だが、歌舞伎・浄瑠璃などの忠臣蔵を嫌い、史実に基づいた忠臣蔵を目指したようである。

ストーリー
播州赤穂藩筆頭家老・大石内蔵助と上杉藩江戸家老・色部又四郎の戦いは、元禄14年3月14日江戸城柳の間にて赤穂城主浅野内匠頭が勅使饗応役高家・吉良上野介に対し刃傷に及んだ事件から始まった。内匠頭は即刻切腹、赤穂藩は取り潰し、吉良はお咎めなしという、当時の喧嘩両成敗を無視した一方的な裁断は、家名と権勢を守ろうとする色部と時の宰相柳沢吉保の策略だった。
赤穂藩は騒然となり、籠城か開城かで揺れるが、大石は既に吉良を討ちその家を潰し、上杉、柳沢の面目を叩き潰す志を抱き、早速反撃を開始した。事件発生後直ぐに塩相場を操作し膨大な討ち入り資金を作った大石は、その資金をばらまき江戸市中に吉良賄賂説を流布させ、庶民の反吉良感情を煽り、また赤穂浪士すわ討ち入りの噂を流して吉良邸付近の諸大名を震え上がらせ、討ち入りに困難な江戸城御府内にある吉良邸を外に移転させるなどの情報戦を駆使した。思わぬ大石の攻勢にたじろいだ色部も、吉良を隠居させる一方、仕官斡旋を武器に赤穂浪人の切り崩しを図り、討ち入りに備えて迷路や落とし穴などを完備した要塞と呼ぶべき吉良屋敷を建てさせるなど、反撃を開始する。京都・鞍馬で入念な準備に忙殺される大石はその傍ら、一文字屋の娘・かるとの恋を知る。かるはいつしか大石の子を身籠もった。追い詰められた上杉家は最後の策として吉良を米沢に隠居させようとする。

その吉良上野介が米沢藩に向かう「惜別の会」が開かれた12月14日、運命の日。雪も降り止み誰もが寝静まった子の刻、大石以下47名が集まり、要塞化した吉良邸にいよいよ突入した。迷路を越え、上杉勢百数十名との壮絶なる死闘の末、遂に大石は吉良を捕らえる。追い詰められた吉良は大石に、浅野の刃傷の本当の理由を知りたくはないか、と助命を請う。だが大石は「知りとうない」と答え、吉良の首を取る。吉良の死に重なるように、かるの腹から新しい生命が生まれた。 史実としては平間村逗留と「平間の渡し」から江戸に入る事しかない、娯楽性の高い作品である。
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