●「喜望峰」の発見によるアフリカ航路の完成
1487年、パルトロメウ・ディアスが3隻の船でアフリカ航路探検に乗り出した。彼等は偶然にもアフリカ大陸の最南端を越えてしまった。しかし、乗組員の恐怖から引き返すことになった。その帰国の航路で、彼等が越えた岬に「嵐の岬」と名ずけた。帰国後、国王ジョアンはディアスの功績に報い、インド航路の発見に希望を込めて「嵐の岬」を「喜望峰」(ケイプ・オブ・グッド・ポープ)と替えた。
●教会が世界を二分したトルデリャス条約
(1494年)
この条約は、カボ・ヴェルデ島370レグアから西の46度30分の経線(アゾレス諸島の西約1000マイル)で、それ以東をポルトガル領、以西をスペイン領とするものである。世界は2国に分けられたのだ。この条約を決めた教皇は、悪名高いボルジア家出身のスペイン人アレクサンドラ6世である。
法王でも、こんな重大なことを独断で決める権限はないと、他のカトリック諸国に大きな不満を残した。のちにオランダとイギリスがカトリックから離れていったのは、此処に原因があるという。また、この条約は異教徒の国を航海するときには、必ず聖職者を同行することが必要であると義務ずけた。船に乗る全員は、つとめて新しいカトリック教徒を獲得することを定めている。
この条約によって教会は『人は神の名の下に何でも出来るという』、恥ずべき免罪符を与えたことになった。つぎに、インド航路発見のヴァスコダ・ガマの登場である。
|