●会見は最初の頃は友好的であったが、サムリへの贈り物が不満足なために、徐々に険悪な雰囲気になった。双方の意志の疎通 を欠いたために「東西文化交流」は、武力による威嚇と詭弁とともに始まった。このことは東方の諸国にとって大変悲惨なことであり、これが武力による征服への始まりとなった。 ガマは、回教徒商人が貿易を握っている限り、通商はうまくいかないと感じた、3カ月間の滞在ののち、その地で香辛料を積み込み帰国のため出航した。出発の時170名ほどであったが、すでに60名ほどが死亡、残りも健康状態は悪いものばかりであった。 帰国の途中、乗組員の不足のためにサン・ラファエル号を廃棄して帰国した。 ●1499年、故国リスボアに到着した。 彼が持ち帰った香辛料とインドの情報は、ポルトガル国内を興奮の渦に巻き込んだ。特にガマのもたらした情報に寄れば、香料貿易を独占するには回教徒商人を追い出すことが必要である。このためポルトガルは平和的な交易より、確実な武力による征服をめざしたのである。 このガマの成功は、ヴェネツアやエジプトには衝撃を持って迎えられた、「いままでの最悪の知らせ」と受け取られた。これ以後、香辛料の覇権はポルトガルに移るのである。