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●日本を開国に導いたペリー提督は、本名をマシュー・カルブレイス・ペリー(Matthew Calbraith Perry)といい、アメリカ大統領の命令で日本に開国を迫る親書を持ってきた人物です。 彼は性急な性格であるらしく、命令を受けると艦隊の出港準備の遅れにじれて、単独でアメリカを出港した。1852年11月24日の事である。この頃、蒸気船が太平洋を横断するのに石炭を補給する島がなく大西洋から日本に向かった。 ペリーの任務のひとつに大西洋で必要な給炭地を見つける事がある。12月12日マディラ島に寄港、12月25日出港、セントヘレナ島(ナポレオンの流刑地)に翌年1853年1月10日に寄港、次に寄港したのはケープタウンである。次の寄港地がドードー絶滅の地、モーリシャス島である。 |
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蒸気船ミシシッピー号、アメリカ最初の大型遠洋航海汽船、 1692トン、1839年竣工。 | ||||||
●ペリー提督は、モーリシャス島でどのような感想を持ったであろうか。島はドードーのいた頃の面影はなく、奴隷を使ったプランテーションがさかんであった。その奴隷に関する記述はあるが、それ以外のドードーについての記載はない。『日本遠征記』岩波書店 発行 |
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●絵は、『日本遠征記』にドイツ人ウイリアム・ハイネが描いたモーリシャス島の風景。ミシシッピー号にはもう1人、エリファレット・ブラウン2世と言う絵描きがいた。写真のない時代は、必ず絵描きが同行した。記録のためである。また、学者も記録のためスケッチするので、絵が上手の人が多い。 |
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〈ペリー艦隊に日本を追放されたシーボルトが同乗を求めてきた〉 |
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