ドードーとチャールズ・ダーウィン

《ビーグル号のチャールズ・ダーウィンがモーリシャス島を訪れた》

イギリスの博物学者で進化論者のチャールズ・ダーウィンもモーリシャス島に立ち寄ったことがある。イギリス統治下のことである。1836年4月29日、彼が博物学者として乗り込んだビーグル号でイギリスへの帰国の途中、休息と物資の補給をかねてモーリシャス島に上陸している。 出帆は5月9日でわずか10日間ほどの短い滞在であった。
本国に帰国後、1839年に出版された「ビーグル号航海記」によれば、モーリシャスの印象を次のように書いている。

アイコン ダーウィンのモーリシャスの印象〉…彼の日記から抜粋
 日記から、『島の中心部にむかっては、木の生えた山々がみごとに開墾されたこの平地からそそりたっていた。古い火山岩にはごくふつうにあることだが、山々の頂上はでこぼこして、先端がとても鋭くとがっている。その先端には白い雲が集まり、まるで来航者の目を楽しませるかのような効果を演出している』と美しい島の情景を書いている。
 また、彼が訪れた港町ポートルイスの姿を、『とてもきれいな小劇場があってすばらしいオペラが上演されている。棚には本がぎっしりつまった、ずいぶん大きな書店を見たときも、びっくりした』と町の繁栄とイギリスの文明に近ずいたことを素直に喜んでいる。

 5月1日の記述には、『島のこちら側は、開墾が徹底的におこなわれており、四角い畑に切り分けられ、農場がたっていた。それでも、島にある土地全体からすれば、 半分以上はまだ有効に利用されていない、もっと有効な土地利用がすすめば、 砂糖の輸出量も増加するであろう』とモーリシャスの経済的価値を評価している。
 また、イギリス統治25年にして砂糖の輸出量が75倍に増えたと、隣のフランス領ブルボン島(レユニオン島)が、まだ、ほんの数年前のここと同じみじめな状 態にあると、イギリス人の勤勉さを誇っている。彼は島がよほど気にいったと見えて、『申し分のない優雅な雰囲気をまとった島』『こんな静かな環境で一 生をおくれたら、どんなにたのしいことか!』などと書いている。 (『ビーグル号航海記』岩波文庫 岩波書店刊より抜粋)

チャールズ・ダーウィン 島の写真






ダーウィンがおとずれた頃のモーリシャス島スケッチ(『ビーグル号航海記』岩波文庫 岩波書店刊より抜粋)

チャールズ・ダーウィン
1809ー1882年

ドードーアイコン〈ダーウィンはドードーを知らなかったのか……〉
ダーウィンの航海記では、フォークランド島オオカミ絶滅の記述でドードーの絶滅にもふれている。 しかしモーリシャス島の記述では、ドードーのことは一言もふれていない。 もちろんわずか10日ばかりの滞在では、話題にのぼらなかったかもしれない。また絶滅がおもにフランス統治の時だったことが関係するかもしれない。

 しかし、一番おおきな要因はどこにでもいる鳥だと考えられていたからである。また、彼は極度のホームシックにかかっていたらしい。また自分が発見した動物や植物のことで頭がいっぱいではなかったか。絶滅してから100年ほど経過しただけなのに、島の自然景観は完全に変わってしまっていた。 鬱蒼たる原生林もなくなり、開墾されたプランテーションを見ると、ここに不思議な鳥(ドードー)がいたなどと想像することなど出来なかったからに違いない。

 この頃にはドードーはガチョウの一種だと思われていた。ダーウィンでさへ絶滅の事など気にしなかったにちがいない。 もしかしたら、5年にわたるビーグル号の航海を終へて、帰国への安心感がダーウィンの知的行動力を奪っていたのかも知れない。


歴史に仮定は禁物だが、彼がドードーの剥製や骨格などを見たら、その姿に好奇心を刺激されて島内を発掘したに違いない。 その結果、彼の『進化論』に孤島で特殊な進化を遂 げた巨大なハトが、どんな影響をあたえたかを考えると大変残念なことである 。

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