タイトル

《香辛料について……黄金と同じ価値を持つ香辛料》


香辛料とは何か、なぜ命までかけてまで香辛料を求めたのか……16世紀から17世紀にかけて香辛料が、当時の人々に与えた衝撃を下の歴史事実から考えてみよう。

『東インド諸島の島々は多いが、丁字(ちょうじ)が取れる島はわずか5島しかなかった。 テルネイト(テルナテ)、ティドール(ティドレ)、モティエール(モティ)、マキエン(アキアン)、バッキア(バチャン)である。コショウ、ジンジャー、ナツメグ、シナモン、メースでさえ、西欧世界や西洋の商業にとって価値が高かったけれど、このとても重要な香辛料「丁字」にくらべればありふれた香辛料にすぎなかった。』、『丁字の甘い香りがたくさんの血を流しても洗い流すことは出来ない苦痛を大国の間に生じさせることになった。今ではごく普通 の香辛料で、簡単にてに入るし、何千人もの人の命をかけて買い付けるだけの価値があるとは思えないが、かつては文明世界がそれを手に入れようと争ったほどの価値があった』と、歴史家ジョン・ロスロップ・モトレーは言っている。『世界を変えた植物-それはエデンの園から始まった』(ドッジ著 白幡節子訳 八坂書房刊)

人々は一度その効能を知ってしまったら、もうなくてはならない食品となった、だからどんな法外な高い金額でも買わざるを得ない。当時のただ一つの輸入港、ベニスの利益はほとんどが「丁字」と「にくずき」(ナツメグ)の取引からのものであった。

(注) ポルトガル語でマルコ諸島だが、現在はインドネシア語でマルク諸島と表記する。


九州大学デジタルアーカイブ
ギャラリーページで地図があります。
アジア図を見てください。


マルコ諸島(マルク諸島)の地図
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《香辛料は中世のヨーロッパ人にとって、生きるための必需品だった》

現在の日本では、欧米化した食生活によりスパイスなどは一般的になった。そのため私たちは、中世のヨーロッパ人が狂気とも思える執着心で、香料(香辛料)を求めた理由を完全には理解できない。

香辛料はおもに次の3種類にわけられる、焚香料、調味料、化粧料である

焚香料とは……
 「香をたく」と言うように匂いを楽しんだり、宗教で使用されるように 日本人にも馴染みのあるものである。化粧料とは、香水のことで主に体臭を消すことに使用された。しかし、調味料(香辛料)は日本人が抱くイメージとまったく違うものである。

香辛料(調味料)とは何か、その役割……
 中世から近世のはじめにかけて、中部ヨーロッパ、今のドイツ、オランダ、フランス、イギリスなどの地方の食生活は、気候からの制約が多かった。
 ヨーロッパの国々は日本から見ればきわめて高緯度にある、ロンドンは北緯52度である。この位置は日本ではサハリンにあたる。フランスのパリでさえ北海道の北にあたる。いかに厳しい冬だか理解できるであろう

 野菜や穀物の他には塩漬け肉、野鳥類、塩乾魚である。生活も牧畜など、牛や羊を主体としていた。 そのため長い冬の家畜の飼料が問題となっていた。その頃、サイロで干し草を保存することはおこなわれておられず、冬の間にこれらの飼料は外に積まれたままであった。 当然、腐るために多くの動物を飼うことは出来ずに冬になると、大部分の家畜を殺す事になったのである。

そして殺した家畜の皮や毛は、防寒具などで使用された。すべての動物の肉を塩漬けにして保存したが、日がたつにつれて腐るため、腐敗臭がするし、味も変になる。しかし春までは、その肉を食べねばならなかったのである。
  そのため、強力な防腐剤やにおい消しが必要であった、それが香辛料である。また香辛料は天然痘やコレラ、チフスなどの死病に効くと信じられていた。臭いがそれらの病気を運ぶものだと考えられており、香辛料がその臭いを消すと信じられていた。他に胃や腸、肝臓の薬としても使われた。

  香辛料とは、当時では「万能の薬」として、なによりも生活に必要な大事なものであった。支配者は領民に香辛料を与えることで、自分の権威が高まり富も集まる。 それが国内を安定化する大事な要素のひとつであった。

肉類は塩漬けにされ、食べるときには胡椒がかけられた。口の中がカッとあつくなるあの感覚は一種の中毒症状を呼び起こした。人々は胡椒なしではいられなくなったのである。
「世界の歴史12 ルネサンス」会田雄次・中村賢二郎著 河出書房新社


香辛料イラスト
図版は『探検の世界史』香料と財宝を求めて ウイリアム・ネーピア著(株)集英社から
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