近代地図の誕生

《新しい地図の登場……変わる地理世界・大航海時代へ》
    16世紀まで使われたプトレマイオスの地図も、新しい地図にとって替わられる日が来た。それがアブラハム・オルテリウス(Abraham Ortelius)ベルギー人(1527年〜1598年)の『世界の舞台』の登場である。

    オルテリウス・地図写真 オルテリウスイラスト
    地図の拡大 アブラハム・オルテリウス
上の写真は1570年の初版版に掲載された世界の姿、34×49.5センチ、八千万分の一である。フランス・ホーヘンベルフ彫版 図版『近代地図帳の誕生』C・クーマン著 監修者 船越昭生 訳者 長谷川孝治(株)臨川書店刊 1997年 
 

ボタン近代地図制作者…アブラハム・オルテリウスの登場

彼は地図彩色工から地図商人となり、地図を集め、いままでの間違いを正した地図を作ろうと決意した。それが『世界の舞台』(1570年初版)である。 1624年までに40版を重ね、ラテン語、オランダ語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、英語版などが作られた。しかも各版も新しい事柄が追加され、追補版が作られつづけた。この地図は『世界の舞台』または『世界地図帳』ともいわれる。

―特長―
世界ではじめて、持ち運びの出来る地図帳であった。53葉の紙に70の地図が載っていた。
「地図制作者の目録」が付いていた。初版では87人、最後には183人の紹介がある。これにより当時の制作者の名前がわかり、科学的重要性(資料価値)が高まった
索引が付いており使いやすくなっていた。
オルテリウスは世界の舞台の中で、読者に対して周辺の地図を送ってくれるように頼んでいる。下記に示すメルカトルの作成したフランドル図もその一つである。

オルテリウスの誠実なところは、末尾に刊行前に死んだ友人の「ハンフレッド・ロイド」の論文を載せたことである。 『近代地図帳の誕生』C・クーマン著 監修者 船越昭生 訳者 長谷川孝治(株)臨川書店刊 1997年 

同じ頃、オランダにゲルハルデュス・メルカトル(Gerardus Mercator)
(1512-1594年)がいた。オルテリウスと友人であった。彼は1569年に投影法を使った地図を作った。これがメルカトル図法である。この地図の原理は以下の説明が分かりやすい。
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『地球を円筒で包みこんだ上で地球の中心から光を出し、それによって生じた陸地の陰を円筒に写し取り、それを展開して長方形という平面にしたものと考えて良い』 (不思議な部屋-2 「だまし絵」桑原武夫著 筑摩書房刊)

この地図の特徴は、距離は不正確だが方向は正確なことである。 しかし、この偉大な地図は30年間も使かわれることはなかった。彼が地図の数学的根拠を示さなかったからである。現在の海図もこの図法で作られている。これら2人による先導でオランダのアムステルダムは、100年以上にわたり地図工房からすばらしい地図が生み出したのである。

画家 フェルメール
  (1632〜1675年)

 
彼は、この時代の人であり、彼の描く絵の中に背景として地図がある。その地図は正確に描かれており、ネーデルランド(オランダ)の日常の雰囲気が伝わってくる。

 彼の作品はわずか35点から36点ほどしか確認されていない。その少ない作品のなかで背景に地図を掛けたものが多い、日常的な風景なのか分からない。
Young Woman with a Water Pitcher, メトロポリタン美術館蔵
The Artists Studio
ウィーン美術史美術館蔵

   
「世界地図を作ろう」のホームページ、地図について丁寧な説明があります。
    http://atlas.cdx.jp/

 

九州大学デジタル・アーカイブ
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