ープトレマイオスの功罪 彼は二つの間違いを犯したー

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13世紀のオスマントルコの進出により、ビザンティン帝国は衰退した。そのため学者がイタリアに 亡命しのだ。それにより多くのギリシャ古典が持ち出されたのである。この中にプトレマイオスがあった。『コスモグラフィア』または『ゲオグラフィア』のタイトルで出版された。ラテン語にも翻訳された。 それまで、中世ヨーロッパをキリスト教世界観で人々を支配していた地図(マッパ・ムンディ)は古くなり、このためプトレマイオスの地図が使われるようになった。15世紀にはグーテンベルグによる印刷の発明によって広くヨーロッパに普及した。ここに空想の世界から、現実の世界像が開かれたのである。「古地図の博物誌」織田武雄著 (株)古今書院

 《プトレマイオスは占星術の始祖である》
『テトラビロス』は占星術の代表的な教科書となり、中世の科学を知る重要な手がかりである。

  彼が基礎を築いた神秘主義(オカルト・サイエンス)は、現代にいたるまで大きな影響を与えた。特に第二巻にあるホロスコープは、今でも信じる人が大勢いる。初期の頃は異教徒の学問であると嫌っていたキリスト教も、庶民の間にあまりにも広く信じられているために、これを利用しようと考えた。中世の偉大な神学者は、占星術をキリスト教を補強するものとして利用した。例えばイエス・キリストの 処女降誕が星の力で示されることを好んで強調した。
(『大発見』-どうして一週間は七日なのか-より ダニエル・ブアスティン著 集英社刊)

右のイラストは中世貴族の占星術、『ペリー候の豪華な聖句時祷書』から、装飾的で美しい物、15世紀初期のものと伝えられている。

ひとつは天動説であり、もうひとつは地球の大部分が陸地であると考えたことである。
 彼が死んで2000年たったいまでも、世界地図の基本的枠組みと用語は、彼に負うところが多い。それは方眼による作図法であり、緯度と経度の用語であり、地図の上は北であると規定したことである。

プトレマイオスが道を開いた地図
  中世ヨーロッパには伝わらず、中世の時代には教会の観念的想像の地理学に取って代わられた。実証的、または科学的と言っても良いものから、教義によりゆがめられ、完全に後退した不思議な地図になってしまった。その地図には、不思議な動植物が闊歩する未知の国を創り上げていた。    (
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