香辛料の歴史

《大幅に後退したヨーロッパ中世の世界》


中世の教会の指導者たちは、プトレマイオスの創りあげた偉大な仕事を継承して、発展させることはなかった。彼等はプトレマイオスが目指した実証的地図ではなく自分たちが、頭で創りあげた想像の産物である宗教的つじつま合わせの空想地図を作りあげたのである。しかもそれを宗教の名のもとに大衆に押しつけたのである。


〈宗教的カリカチュアの―TO地図〉


『少なくとも、600点以上の地図が伝わっている。大きさはまちまちだが、すべてが同じような地球の描き方をしている。これらは「車輪地図」または「TO地図」ともいわれる。
人の住める地域全体が、円盤(O型)として描かれ、T型の水の流れで分割されているのである。上部が東。ヨーロッパとアフリカを分かつ縦の線は地中海で、ヨーロッパとアフリカをアジアと分ける横の線はドナウ川とナイル川であり、この二つの河はつながっていると思われていた。そして全体をとりまくのは海洋であった。』   『大発見』より

 11世紀のTO地図 上にアジア 右にエルサレムがありその下にトロイア、川のようなものは地中海。下の左がヨーロッパ、右半分がアフリカである

〈有名なTO地図、ヘレフォードの大聖堂〉
 
13世紀に作られたもので、長さが5フィートもある。上部には最後の審判の絵があり、左側にはアレキサンダー大王が閉じこめたというゴグとマゴグが棲んでいる地がある。右側のアフリカには、一つ目の人間とか、一本脚の人間などが描かれ、この地が未知の国であることがわかる。


不思議な人間達
左のイラストは、ミュンスター編のプトレマイオスのアジア地図の部分である。インドの一本足(スキアポデス)が描いてある。キリスト教会は、自分たちに都合の良いモンスター達などは取り込み、教化すべき人間達であると説明している。画を拡大表示
 
「世界古地図」チャールズ・ブリッカー著 講談社刊
〈聖ブレンダヌスの約束の地〉

  この聖書にもとずく地図は、空想の世界であり、善と悪、キリスト教徒と異教徒が住んでいた。そのひとつの例証が「聖ブレンダヌス」(484-578年)が約束の地の島を発見したという伝説である。6世紀の頃 、アイルランドの修道士ブレダインは14人の仲間と極楽島を探す旅に出たという、七年の辛い航海ののち、その島に辿り着いたという伝説である。伝説にも関わらず、この島は1759年まで1000年にわたり、
現実に海図や地図に記載されていた。エンリケ王子のポルトガルは、この約束の地を求めて2世紀のあいだ探検を繰り返したのである 『Plautiusの航海術書』(1621年 ヴェニス)の挿絵 『地図のイコノロジー』 堀淳一著  筑摩書房刊

中世の地図とは何だったのか……

『ヨーロッパの地図は、キリスト教の支配下に万物、中でも地球全体を組み込もうという、いわば包みこみの志向と、それを実現するためにヨーロッパの政治・経済的支配とキリスト教的価値観とを外の地域に広めてゆこうという、いわば広がり志向とを、ともどもに表現しているのだ。』そのために、知り得た事柄すべてを想像でも良いから地図に描き込んだのだという。
  ではイスラムの地図はどうかというと、よけいな図章はいっさい入っていない。 まわりも空白である。偶像を許さないイスラム教の教義にもとずいているのであろう、より直裁的に言えばキリスト教よりイスラム教のほうが、事実による科学的精神に近かったのではないか。

 プトレマイオスの精神を受け継いだのがイスラム圏で、キリスト教では。想像から生み出された不思議な動植物を地図の世界に持ち込んだのだ。それも1000年の長きにわたり人の社会を支配したのである。(『地図のイコノロジー』堀淳一著 筑摩書房刊 )


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