●ギリシャ文明はローマではなくアラビアへ90パーセントが伝えられた。アルキメデス、プトレマイオス、ユークリッド、アリストテレス、ヒポクラテスといった第一級のギリシャ科学は、ビザンチウムに伝へられたのである。ビザンチン文明はギリシャ文明の大部分を受け継いでいる。ここからアラビアへ受け継がれたのである。
その経路は、ビザンチウムのギリシャ正教を追われた異端キリスト教徒を通してである。ネストリウス派はシリアに追放された。ここでギリシャの文献をシリア語に翻訳したのである。それがペルシャに伝わった。ササン朝のホスロー一世の時にペルシャ、ギリシャ、インドなどの融合された文化が創られた。イスラム世界には初期の頃より入っていたが、アッパース王朝になるとペルシャ文明がふんだんに入った。
●第七代のアル・マムーンになると『知恵の館』と言う大研究所をつくり、ギリシャの文献をどんどんアラビア語に翻訳させた。始めは翻訳にして、真似をする模倣から後には独自のものを加えた高い文明が生まれた。つまり11世紀頃にはアラブ独自のものが創られていたのである。。
12世紀になると、スペインのトレドには翻訳学校がありイスラムの文化があった。ゲラルド(1114-87年)と言う人物がプトレマイオスにあこがれてトレドにやって来た。彼はプトレマイオスからアリストテレスなど80あまりの文献を翻訳したのである。これに触発され多くの学者が訪れるようになった。このようにしてギリシャ文明が、千年の時を経てヨーロッパに伝えられたのである。
『文明移転 東西文明を対比する 対談 江上波夫・伊東俊太郎』 中公文庫 中央公論社1984年
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