ー博覧会終了後のロンドン郊外シデナムへの移築ー
  ー水晶宮の移築とドードー標本の最後ー

水晶宮
パクストンは水晶宮カンパニーをつくり、ロンドン南の郊外シデナムに土地(200エーカー)を買い、水晶宮を移築して人々が楽しめるウィンターガーデン構想であるガラス庭園を作り上げた。中でも植物と噴水は彼の夢であった。塔は噴水をあげるための給水塔である。

1854年6月10日、新水晶宮はヴィクトリア女王とアルバート殿下の臨席と大観衆のもとに開館した。。1872年に日本の岩倉使節団が訪れたのも新しい水晶宮であった。この新水晶宮は今日のテーマパークのような大衆の娯楽施設である。


シデナムは30年間で年平均200万人の来場者が会ったと言われる。水晶宮には音楽のためのコンサート会場や図書館など民衆のための娯楽の殿堂となった。また、花火大会は人気のあるアトラクションであった。1966年12月30日の火事から新水晶宮の没落が始まった。

1936年11月30日、午後6時頃出火、ほぼ全焼、80数年にわたり人々の目を楽しませたドードーの標本も永遠に失われた。 〈参考資料〉『水晶宮物語』ロンドン万国博覧会1851 松村昌家著(株)リブロポート発行1986年 

〈参考WEB〉 
   ロンドン万国博覧会のカタログのキクオ書店 (トップページから特選欧米古書目録を選んでください。

   ●国立国会図書館 「博覧会 世界初の万博、大成功」ホームページ

トップへ戻る 第二章 第三章