歌川国芳門弟である一猛齋芳虎は「御上洛東海道」制作に参加した


一猛齋芳虎(1828〜1887)は、歌川国芳の内弟子であり、国芳と同じく武者絵を得意とした。御上洛東海道に参加したときは30代であり、横浜絵を描いていた。人気のあった絵師であり三代豊国との親交もあったようだ。国芳との関係は安政5年(1858)に喧嘩別れしたようであり、以後、国芳門下の弟子たちからも嫌われたようだ。2014.08.07更新


21.東海道神奈川 同台の下 文久三年四月 佐野屋富五郎
45.東海道箱根畑 箱根 文久三年四月 大黒(国)屋金之助・金次郎
64.東海道名所之内あべ川 あべ川渡 文久三年五月 遠州屋彦兵衛
68.東海道藤枝 藤枝 文久三年四月 遠州屋彦兵衛
88.東海道藤川 藤川 文久三年四月 佐野屋富五郎
97.東海道宮 宮 文久三年四月 小林鉄次(治)郎
111.東海道坂ノ下  坂の下 文久三年四月 大黒(国)屋金之助・金次郎
152.東海道名所之内御能拝見朝番 其二  文久三年五月 大黒(国)屋金之助・金次郎
153.東海道名所之内御能拝見昼番 其三  文久三年五月 大黒(国)屋金之助・金次郎


以上9点は、タイトル『東海道中を描く錦絵の新展開ー「御上洛東海道」を中心にー』文学研究科博士過程後期課程 山本 野理子氏の論文中のリストによる。この中で国立国会図書館デジタル化資料で収蔵されている浮世絵5点(赤字)を紹介する。(注)152番と153番は同じタイトル浮世絵が惺々狂齋にもある。拡大表示は題名をクリック。
(緑字)2点は大正7年の豪華本『大名道中』東光園刊から撮影転載。(『馬込と大田区の歴史を保存する会』所蔵)

横浜絵とは 幕末に開港した横浜を題材にした錦絵である。特に万延元年(1860)から文久元年(1861)の短い期間に大流行した。当時の浮世絵師のほとんどが描いたようだ。居留地や異人の風俗に題材を置き、江戸っ子の好奇心に答えた。



浮世絵浮世絵

21.同台の下
      45.箱根       64.あべ川

浮世絵

68.藤枝
        88.藤川         97.宮



111.坂下      152.御能拝見
  御上洛東海道絵師目次