●三代歌川豊国(1786〜1865)は初代・歌川国貞である。『御上洛東海道』シリーズにおいて一陽齋廣重の名前で、歌川派絵師16名・版元25名を参加させるなど、企画の段階から中心的役割をはたした。将軍徳川家茂の上洛に合わせて企画されたであろう『御上洛東海道』は、文久3年(1863)から4年の間に東海道五十三次の上洛風景を刊行するという東海道シリーズものである。版元との交渉、歌川派の絵師に何処を描くかなどの指示、短い間にやるべき事は沢山あったであろうが162点あまりの浮世絵が完成した。
天保の改革終了後、幕府の規律が緩んだとはいへ、出版統制は今だに気を付けなければいけない事柄である。そのためか、通称『御上洛東海道』とか『行列東海道』と呼ばれるこのシリーズは、便宜的に付けられた名称で、文久3年4月〜5月に刊行されたシリーズには将軍の上洛を示す直接な語彙はなく、人気のあった『東海道五十三次』風景を当世風にアレンジして、そこに将軍上洛を「源頼朝の上洛」に仮託して描くなど苦労した構成になっている。タイトルは「東海道名所之内◯◯」、「東海道◯◯」などと必ずしも統一がとれていない。文化元年(1804)5月、奉行所は浮世絵や草双紙に天正依頼の武将を描くことや紋・名前を付けることを禁じた。このシリーズでも将軍家茂は源頼朝に仮託され、家紋も頼朝の笹竜胆である。(2015.06.20更新)
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