子持ち絵に描かれた塩治判官切腹シーン、九代目市川團十郎と尾上菊五郎


子持ち絵とは何か…… 『玩具絵の一種で、絵の上に別の絵を貼り付け、その絵を折り返すと裏面の絵が現れ別の画面に替わる』(「原色浮世絵大百科事典 第三巻 様式・彫摺・版元」大修館書店 昭和57年4月15日発売)

歌舞伎役者絵の玩具絵である。顔の部分三枚がめくれるように、小さな浮世絵上部を貼ってある。市川團十郎と尾上菊五郎の表情の変化が楽しめる。市川團十郎の捲った最後は「にらみ」ポーズで終わっている。また、私が所蔵している絵は同じ人物の表情が変化するが、捲り絵が別の人物に替わるのもある。江戸東京博物館にはどちらも収蔵されている。

絵師・豊原周義(生没未詳)画工・鈴木おさと 彫・弥太、出版人・福田熊次良 明治11年(1878)4月 豊原国周の門人であるが詳細は不明 豊原周義は「変わり絵」が得意であったようで、忠臣蔵を描いた2種が見られる。






顔の部分には5枚の小さな顔の浮世絵が張られている。全て役者が違っている。演目の時の相手役なのか、よく分からない。左は捲られた最後の絵。 右は一枚目の顔を捲くる絵。


上の浮世絵で見て欲しい。市川團十郎の浮世絵で衣裳部分に『違い鷹の羽』家紋が「きめだし」(空摺りの一種)されている。実際の赤穂浅野家の家紋は羽の模様が違う、もちろん、お約束で江戸庶民には判っていた。(左が播州赤穂浅野家の家紋)

玩具絵(おもちゃ絵)について
 幕末から明治にかけて作られた、主に子供向け木版画である。「組み立て絵」「起こし絵」「切組灯籠」などがある。立体的に組み上げるのは、「切組灯籠」が正式名称だが一般的に「立版古」(たてばんこ)と呼ばれた。また、江戸時代に玩具絵は「手遊び絵」と言われた。描いた絵師とした歌川芳藤が知られるが、歌川国芳、落合芳幾なども描いている。
  明治以降も玩具絵は、大正・昭和と生き残り、子供雑誌の付録として使われて大活躍であった。雑誌の付録が良いと雑誌の部数が伸びたのである。付録は、男の子の時は組み立て式の乗り物や戦車などであり、昭和初期頃まであったように記憶する。戦後ベビーブームの世代が子供の頃である。


捲(まく)られた絵……
 顔の表情、特に目の動きと唇の動きに注意して欲しい、唇は血の気が引いて真っ青である。「仮名手本忠臣蔵」浅野内匠頭の切腹場面であろう。

まくられた絵は同じ人物かと考えていたが、違うことが判った。この興業(明治11年11月 新富座)では大星由良之助(大石内蔵助)は一日交替で歌舞伎役者が変わったという。九代目市川團十郎、五代目尾上菊五郎、初代市川左団次、三代目中村中蔵、初代中村宗十郎が演じ評判を取ったという。捲られた絵が歌舞伎に暗い私には良くわからない。(参照「遊べる浮世絵 体験版・江戸文化入門」藤澤 紫著 東京書籍(株)2008年刊)