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●絵師・豊原周義(生没未詳)画工・鈴木おさと 彫・弥太、出版人・福田熊次良 明治11年(1878)4月 豊原国周の門人であるが詳細は不明
豊原周義は「変わり絵」が得意であったようで、忠臣蔵を描いた2種が見られる。
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顔の部分には5枚の小さな顔の浮世絵が張られている。全て役者が違っている。演目の時の相手役なのか、よく分からない。左は捲られた最後の絵。 右は一枚目の顔を捲くる絵。 | ||||||||||
●上の浮世絵で見て欲しい。市川團十郎の浮世絵で衣裳部分に『違い鷹の羽』家紋が「きめだし」(空摺りの一種)されている。実際の赤穂浅野家の家紋は羽の模様が違う、もちろん、お約束で江戸庶民には判っていた。(左が播州赤穂浅野家の家紋) | ||||||||||
●玩具絵(おもちゃ絵)について 幕末から明治にかけて作られた、主に子供向け木版画である。「組み立て絵」「起こし絵」「切組灯籠」などがある。立体的に組み上げるのは、「切組灯籠」が正式名称だが一般的に「立版古」(たてばんこ)と呼ばれた。また、江戸時代に玩具絵は「手遊び絵」と言われた。描いた絵師とした歌川芳藤が知られるが、歌川国芳、落合芳幾なども描いている。 明治以降も玩具絵は、大正・昭和と生き残り、子供雑誌の付録として使われて大活躍であった。雑誌の付録が良いと雑誌の部数が伸びたのである。付録は、男の子の時は組み立て式の乗り物や戦車などであり、昭和初期頃まであったように記憶する。戦後ベビーブームの世代が子供の頃である。 |
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